Saturday, December 11, 2010

梅原猛著「世阿弥の神秘」を読んで

照る日曇る日 第391回

角川から出ている「うつぼ舟」シリーズの第3巻である。

本巻の主題は世阿弥作品に流れる思想の研究である。著者はわが国の能を主導した世阿弥の代表作を俎上に載せて、その根幹思想を例によって梅原流にえぐり出そうと試みている。

著者は、たとえば世阿弥の有名な「高砂」や「西行桜」「当麻」「鵺」などに「天台本覚思想」における「草木国土悉皆成仏」の通奏低音を聞き取り、世阿弥の反人間絶対主義を評価する一方、「白楽天」では本邦初の文化的・軍事的ナショナリズムの世阿弥的発露が認められると喝破し、さらには修羅能の代表作「清経」の本質にひそむ実存主義的人間像を発掘するのであるが、こうした資料と文献の徹底的な読み込みと独自の創見はかつて著者以外の誰もがなしえなかった成果といえるだろう。

また私は住吉神社がミソギの神であり、航海の神であり、戦いの神であるとともに歌の神でもあることを、本書ではじめて知った。

住吉大社は周知のように表筒男命、中筒男命、底筒男命の三柱を祭るが、神功皇后とも縁が深い。そしてこの神社は、応神王朝が間違いなくアマテラス、神武天皇以来の万世一系の後継者であることを示すために、応神陵、仁徳陵と三点セットで創建したという著者の主張は、はなははな興味深いものがある。

著者が紹介してくれたもっと興味深い話。

それは、神功皇后が反逆者である息子忍熊王とその部下五人の首を、甲と共に近所の山の頂上に埋めたので、その山を「六甲山」と呼ぶようになった、という竹中靖一氏の説である。

この話を聞いた後ではいくら熱狂的な阪神ファンがアホ馬鹿巨人に大勝しても、あだやおろそかに「六甲颪」を歌えなくなるのではないだろうか?


「だ」で書くと男「です」で書くと女になったような気がします 貫之

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