Saturday, April 12, 2008

大江広元邸旧蹟再論

鎌倉ちょっと不思議な物語112回

以前触れた大江広元旧跡について、「十二所地誌新稿」によりくわしい説明があったので再録しておこう。

屋敷跡は明石が谷一帯の地にあって、西は頂輪房に接し、北は船玉山をだきこみ、東南は一心院の旧蹟に及び、東方は羽黒山の裾に接して宇佐小路に至り、北は滑川によって区切られる。東西約200メートル、南北150メートルあって明石が谷では最も広い地域である。

江戸時代の末期に、大江広元の遠孫と称する毛利公がこの地を買収しようとした!が、価格の点で折り合いがつかずそのままになったという。

最近までは畑であったが、今は多くが宅地になった、とあり、その宅地のひとつがうちのおばあちゃんチなのであった。

「十二所地誌新稿」は昭和55年の編纂であるから、今では畑などはほとんど無くなってしまった。


♪ここからは進入禁止と5人組何事にもタブーはあるぞ
♪ランクル、オートバイは進入禁止おいらは太刀洗5人衆

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