Tuesday, April 29, 2008

吉田秀和著「永遠の故郷 夜」を読む

照る日曇る日第120回&♪音楽千夜一夜第34回

朝の授業のために湘南新宿ラインに乗りながら、この本を読んでいた。

小林多喜二がビオラを弾いて著者の母上のピアノとデュオを組んだ話、同じ小樽での年上の女性との初めての接吻、大岡昇平の愛したクリスマスローズの花が吉田邸の庭に植えられていることなど数々のエピソードの花束によって飾られた心に染み入る珠玉の随筆である。

鼓膜の中いっぱいに楽の音が満ち溢れ、泣きたくなるような感動が押し寄せてきたのは、「4つの最後の歌」という短編を読んでいるときだった。

1954年、著者はミュンヘンでこの曲の初演をなんとゲルハルト・ヒッシュと中山悌一に挟まれてリサ・デラ・カーサの独唱、ヨーゼフ・カイルベルトが指揮するミュンヘン・フィルの演奏で聴いたという。ああ、なんという夢のような組み合わせだろう!

「4つの最後の歌」はご存知のようにリヒアルト・シュトラウスの文字通り最後の作品であり、歌曲は世に数々あれど、この本で吉田さんが紹介しているヒューゴー・ヴォルフやブラームスよりも私が愛惜措くあたわざる古今の絶唱である。
著者が評しているように、意識の明確さと幻想の深さ、驚くばかりの輝きと闇が、そして生と死が絡み合う比類のない高みに達した崇高な芸術作品である。

その日そのときの演奏が、時空を超越して吉田さんの心の奥底から突如として沸き起こってくる。そうして私たちはもはや最後の日も遠くないことを自覚している著者とともに、天才作曲家の文字通り最後の4つの挽歌をひとつひとつ聴いていくのである。

第1曲は「春」、第2曲は「9月」、第3曲は「眠りにつくに当たって」はいずれもシュトラウスを憎んでいたヘルマンヘッセの作詞であるが、ナチスに肩入れしていた疑惑の作曲家は、善悪を超越した此岸から彼岸にかかる渡り橋の真ん中で、現世への最後の一瞥をくれたのである。ヘッセもって瞑すべし、ということでもあらうか。

吉田さんは第4曲「夕映えの中で」のアイヘンドルフの原詩を翻訳して示す。

おお、広々と静かな安らぎ、
夕映えの中で かくも深く
私たち 何とさすらいに疲れたことか
もしかしたら、これは、死?

そして変ホ長調、アンダンテ、4分の4拍子で生まれ、最後の15小節で再び変ホ長調に戻って永遠に終息した死と美が共存するこの美しい音楽のスコアを、自らの手で書き写しながら、吉田さんはリルケの詩を思い出すのである。

何故ならば、美は私たちの耐えられる限りでの
恐ろしいものの始まりにほかならないのだから (『ドゥイーノの悲歌』

吉田さんは、なぜ死への憧れを歌う音楽がかくも美しくあるうるのか? 美しくなければならないか? と自問し、次のように答えている。

―なぜならば、これが音楽であるからである。死を目前にしても、音楽を創る人たちとは、死に至るまで、物狂わしいまでに美に憑かれた存在なのである。そうして、美は目標ではなく、副産物にほかならないのである。彼らは生き、働き、そうして死んだ。そのあとに「美」が残った。美はその過程の中で生まれてきたあるものでしかない。(中略)セザンヌ最晩年の農夫の肖像を見るがいい。彼を囲んで黄と緑と深い青と濃い茶の光と闇とが入り混じり、音もなく燃えている。セザンヌは何を描いたのか?「もしかしたら、これが死?」

というところで、吉田さんの筆は突然書くことをやめ、それから私の心の中であの懐かしいIm Abendrotの演奏が鳴り響いたのだった。

おかげで私の講義は無残なものだった。しかし、音楽について語る数ページが、その音楽そのものを、無上のよろこびと無限のかなしみとを2つながらに伴いながら、オケと歌手と指揮者もなしに、私の魂の中でいきいきと立ち上がらせるとは、なんという書き手であることか!

「あとがき」のなかで吉田さんは、「歌曲とは心の歌にほかならない」とハイネの言葉を訳しているが、「永遠の故郷 夜」というこの本自体も、隅から隅まで吉田さんの「心の歌」にほかならないのである。

 
漠然とした不安なんぞで死んでたまるか死ぬわきゃねえぞ芥川 亡羊

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