Sunday, April 06, 2008

春宵源語

照る日曇る日第109回

源氏物語が書かれてからすでに1000年以上の歳月が経っているが、紫式部という女性はまあなんとすごい長編小説を世界にさきがけて書いたものだと思わずにはいられない。

 紫の上、夕顔、空蝉、女三の宮、六条御息所、明石等々、とても魅力的な女性が次々に登場して、光源氏という絶世のイケメンの前にまるで人身御供のように惜しげもなく美しい裸身を投げ出すのである。

昔はこの貴公子に嫉妬して、こいつはドンジョバンニの大和版ではないか。お前は異常性欲者か。朝から晩まで女の尻ばかり追い回していないで、宮廷を代表する政治家なら、もすこし真面目に仕事をせよ。

などと軽蔑していたが、人生女色にはじまり女色に終わってなにが悪い。それでいいじゃあないか。上等じゃあないか、と悟ってからは、この色即是空、もののあわれを尽くした華麗にして空虚な王朝絵巻をゆくりなく楽しむことができるようになった。

 ご承知のようにここではさまざまな魅力的な人物が登場するのであるが、私が好きなのは藤壷中宮と柏木、それに六条御息所などである。

父の后を母と慕い、年上のお姉さんとしてほれ込む少年の恋は、それが禁断の恋であるがゆえに一途に激しく燃え上がり、その不純なる純情に体が応えてしまう藤壷のおんなのさがが素晴らしい。

柏木は源氏の友人頭中将の子であるが、源氏の晩年の正妻である女三の宮を強姦してその罪の意識に恐れおののき、ついに窮死する。
しかしそのほんとうの死因は、源氏への自責の念からではなく、好きな女から愛し返されない孤独であることを、紫式部は痛切な筆致で描きつくしている点が非常にモダンである。

不条理に犯された女三の宮も悲劇であり、自壊した柏木もあわれであるが、もっと悲惨なのは藤壷中宮との過ちを、女三の宮で応報された光源氏である。
誰でも指摘することであろうが、このあまりにも有名な二つの不倫が、源氏物語の脊梁のツインピークスを構成している。彼女はこの二つの中点に支えられてはじめてあの巨大な物語を書くことができたのである。

六条御息所は怨霊になって葵上や紫上、さらには女三の宮にまで取り憑くのであるが、紫式部は、六条御息所と怨霊の関係を、彼女が冷静に第3者的に自覚しているように記述している。そこには現代流行のスピリチュアル世界のあいまいさはかけらもない。
また現代の殺人犯たちが、「殺せという声がどこかから聞こえた」などとバッハのカンタータのタイトルもじって口走る流行の台詞とはまったく無関係な、澄み切った理性の世界そのものである。

のみならず、御息所が源氏との関係において、好むと好まざるとにかかわらず不可避的に陥ってしまった愛憎の道行き、すなわち彼女の運命についてあまりにもクールに描いているので、私たちはまたしてもなぜかとてもモダンな印象を与えられるのである。


お前などに今日もお気持ち爽やかにお過ごしくださいなどど言われたくないわい 亡羊

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