照る日曇る日第117回
前回に触れたように、本書のテーマは倭と中国、日本と中国の濃密な関係である。
全体的には当初朝鮮半島の百済、新羅、高句麗の影響を受けていた当時の倭、後の日本が、701年に制定された大宝律令の頃から次第に東アジアの先進国である中国のダイレクトな影響下におかれ、政治・経済・社会のみならず都市づくりや生活文化のすべての面で積極的に模倣していくプロセスが描かれているが、まことに歴史は3度くらいは平気で繰り返すものであり、本書がこれからのわが国の行く末を示唆しているよう気がして思いは複雑である。
遣唐使などという制度にしても、もちろん留学生が先進国に学びに行くのであるが、本当の目的は20年に一度の朝貢外交であったことを忘れてはいけない。
天平勝宝の遣唐使が元日朝賀に参列したとき、日本の席順が新羅、吐蕃(チベット)、大食(イスラム帝国)の次であった。そこでわが副使の大伴古麻呂が当時わが国に朝貢していた新羅が上位にあることは受け入れ難しと唐に猛烈に抗議した結果、新羅の外交官が席を譲ってくれたために面目を保ったそうだが、世界最大のグローバル唐帝国における当時のわが国のポジションを微妙かつ悲喜劇的に示す逸話として興味深い。私の目にはこのプライド高い外交官、大伴古麻呂は国際連盟を脱退した松岡外相にほぼ重なる。
また現在オリンピックのみならず、政治、経済、軍事各界で大活躍の中国も、かつてのおのれがチベットをどのように厚遇していたのかを、静かに胸に手を当てて思い出してほしいものである。
しかし日本という国は古来けっして排外主義には侵されておらず、百済、任那、高句麗、新羅などからのあまたの渡来人たちを積極的に受け入れ、平和的に共存を図った。桓武天皇の27人の皇妃のうち6人が渡来人であり、ここから東漢氏、坂上氏、百済王氏などの政治的貴族が輩出したのみならず、私の郷里の先住民である秦氏など衣食住、生活文化全体をリードする無数の高等技能集団を全国に帰化させたのである。
♪紺碧の空の彼方に何がある翔る男にわれもなりたし 亡羊
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