照る日曇る日第110回
無学な私は、あの膨大な源氏物語を原文で読むことなどできないので、仕方なく与謝野晶子や谷崎潤一郎や橋本治の現代語訳で読んでいる。
三者三様苦心の名訳であるが、これをベートーベンの交響曲の指揮者にたとえれば、与謝野は直情径行のトスカニーニ、谷崎は典雅なワインガルトナー、そして橋本訳は無手勝流のフルトベングラーといったところだろうか。もっとも原作の香りを伝えて味わい深く、原譜・原典に忠実なのが谷崎訳であることは言うを待たない。
しかし源氏物語では、登場人物の名前が官職名で呼ばれることが多く、しかも彼らがどんどん昇進していくのでしばしば混乱させられる。例えば40歳代の源氏は、六条院、主人の院、院、大殿、大殿の君などとケースバイケースで表記されている。
登場人物のひとりである「兵部卿宮」は紫の上の父宮であるが、「少女」巻で兵部卿宮から式部卿宮に転じているし、さらには兵部卿宮に良く似てまぎらわしい「蛍兵部卿宮」というまったく別の人物もいる。兵部卿宮は源氏の不倶戴天のライバルだが、蛍兵部卿宮は源氏のやさしい弟である。
例えば、「若菜上」巻の「第十三章第四段」に、「弥生ばかりの空うららかなる日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督など参りたまへり」という箇所がある。衛門督は柏木の官命であるが、この兵部卿宮は本当に兵部卿宮なのだろうか?
原文はもちろん与謝野源氏も谷崎源氏も「兵部卿宮」と記述しているのだが、このおめでたい蹴鞠の宴に、果たして源氏と兵部卿宮が轡を並べたのかどうかが気になったので、源氏物語研究の第1人者である高千穂大学教授の渋谷栄一氏に教えを請うと、それは兵部卿宮ではなく「蛍兵部卿宮」であるとのご託宣を頂戴した。
同じ「若菜下」巻の朱雀帝50歳の賀に集った面々のなかで「兵部卿宮の孫王の公達二人」とあるのも、実際は蛍兵部卿宮の孫であるし、では「兵部卿宮」はどこにいるのかと探してみると、それは「式部卿宮」という呼称で出てきて孫たちの見事な演奏にぐちゃぐちゃに泣き濡れているお爺さんなのであった。
しかしいくらくだんの文章をにらんでいても、そこには「兵部卿宮」という言葉が印字されているばかり。にもかかわらず実体は、「蛍兵部卿宮」だというのであるから、こうなれば源氏は訓詁だけではなく、全体の文脈と心眼で読んでいくしかないのだろう。
♪嗚呼遂に我が家は40アンペアになりはてぬ25年間30アンプなりしに 亡羊
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