Thursday, January 03, 2008

ケルアック著「オン・ザ・ロード」を読む

照る日曇る日第83回

東京の明治通りの千駄ヶ谷小学校の交差点をビクターの録音スタジオ、明治公園方向に下っていくと左側の交差点に河出書房がある。じつはこの近所に私が勤務していたかなり大きな会社があって、よくここまでランチを食べに来たものだった。

さうしてこの一度つぶれて新社になって再出発はしたものの、はかばかしいヒット作を出せないでいるこの小さな出版社を、「いまにつぶれるだろう、そのうちつぶれるだろう」と思っているうちに、あにはからんや私の会社のほうがどどーんと倒壊してしまい、私自身も弾き飛ばされたばかりか、いまやその社屋の跡形もない有様を見るにつけ、人の浮世のはかなさと私自身の読みの甘さとおろかさをふたつながらに痛感する次第である。

その、小さいけれど不倒翁の如きその出版社から、2度目のジャク・ケルアックの代表作が出た。前回は福田実の訳でタイトルは「路上」、今度は青山南の新訳で題名が原題をカタカナに変えた「オン・ザ・ロード」になったが、訳者や全集編集者の池澤夏樹ががたがたいうほど大きな変化があるわけではない。中身はおんなじジャク・ケルアックのロード小説である。一人の海のものとも山のものともつかない若者がなにかに憑かれたように何度も何度も北米大陸を横断する話である。

「ディーンに初めて会ったのは、妻と別れてまもない頃だった。ひどい病気から立ち直ったばかりのときだが、その話はあまりしたくないので、くたくたに疲れた別れのごたごたと、なにもかもおしまいだというぼくの気分が原因の病だった、とそのくらいにしておく。ディーン・モリアティの登場で、ぼくの人生のもうひとつの章、路上の人生とでも言えそうなものが始まったのだ」という出だしの文章を読んだだけで、村上春樹じゃないが、「やれやれ」という気分に駆られるのはなぜだろう。

なんだか分からないけれどここに人生に行き悩んだ若者がいて、その仲間もいて、ワアワア騒いでいて、突然春が来て、モンシロチョウなんぞがひらひら舞って、「そうだ、京都行こう」ならぬ「そうだ、サンフラン行こう」と喚いて無一文でヒッチハイクの旅に出る。あとはお決まりの女と酒と大冒険という、それだけの与太話である。

誰だって旅には出たいし、世界一週旅行をやりたいし、実際にやるやつはやっただろうが、そのやったリアルな話が誰にとっても面白おかしいわけではありません。同じ旅行記でもスイフトや芭蕉ならホラも交えて面白く読ませてくれるが、自分の体験よりは友人の実体験をぐだぐだ書き連ねただけの実録メモランダムが、現代の大方の読者を楽しませてくれるとは私には思えない。

なんでも英語の原文で読めば珠玉の名文であるらしいのだが、全然外国語を解しない私にはこの小説めいた駄文に1950年代という時代に生きたビート世代の生の記録以外の文学的価値があるとは到底思えない。当時の「KY」という時代の空気が彼に書かせ、時代が支持しただけの吹けば飛ぶよな一過性の文章であるよ。

訳者のあとがきによれば、ケルアックはアレン・ギンズバークの詩集「吠えるHowl」やウイリアム・バロウズの「裸のタンチNaked Lunch」も「ビート・ジェネレーション」という言葉そのものも命名したそうだ。彼の最大の手腕は、本文そのものではなく、「On the Road」というタイトル作りに存分に発揮されたのである。


♪おみくじを引かずに帰る鎌倉宮 亡羊

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