Monday, January 07, 2008

島田雅彦著「佳人の奇遇」を読む

照る日曇る日第86回&♪音楽千夜一夜第31回


「佳人之奇遇」なら明治時代に元會津藩士の東海散士が書いた金髪美人が大活躍する政治小説だが、島田雅彦のそれは金髪や黒髪の美人が大活躍しこそすれまったく非政治的な泰平の御世の音楽小説である。

その音楽とは、私も大好きなモーツアルトの、しかもオペラの傑作である「ドン・ジョバンニ」だから、これを読まずして「なんの己のお正月かな」である。

本作では一夜サントリーホール(コンサート方式のオペラ?)で上演される「ドン・ジョバンニ」の公演を巡る、指揮者や、ドン・オッターヴィオ役のテノールや、そのマネージャーや、会場に集う老若男女の聴衆たちを続々と登場させ、公演のライブ本番をピークとする同時多発的ラブストーリーをグランドホテル形式でいわば映画的に描いている。文体も形式も、小説というよりはまるでシナリオのように要領よく上手に書かれ、エンディングなども鮮やかな切れ味だ。

それでここからは私の想像だが、この作家は現在お金に困っている。あるいは、もっともっとお金がほしいのだ。そこで今回、恐らく著者は映画化とその著作権獲得を期待しながらこれを雑誌に連載したのだろう。

しかし不幸なことに、まだその企図は実現されていない。でももし実現されたなら、お手軽なB級恋愛映画がまたひとつ誕生することだろう。
本質的な紋切り型であり、クリシェであり、よく言えばウエルメイドの音楽ネタ、クラシックネタ、新のだめネタによるスノビッシュな恋愛譚なのだ。

島田はデビュー当初の小説でもこのオペラの登場人物ドンナ・アンナを取り上げたが、ドン・ジョバンニに犯されたドンア・アンナへの執着がこの小説でも継続していて2人のアンナを登場させ、あまつさえこないだのザルツブルク音楽祭で話題になったアンナ・ネトレプコに対しても鋭いふくらはぎフェチ視線を飛ばしているのが、いかにも、な感じだ。余談ながら、大江健三郎もこのふくらはぎフェチで、彼の初期の小説に「自涜型のふくらはぎ」へのこだわりが熱く表明されている。

登場人物のマエストロはどこかハンガリー人のゲオルク・ショルティを思わせる。シカゴ響を世界最高のオケのひとつに育てたショルティは、指揮も見るからに精力的だったがあちらのほうもお盛んで、ある日曜日に自宅にインタビューに来た30歳以上年下の美しいBBCの女子アナと一目ぼれで再婚し、たちまち子をなしたのだった。
また死ぬ前年にサントリーホールにやってきたカラヤンの知られざる姿など、クラシックファンを唸らせる数々のエピソードが、このブレヒト流三文音楽小説の気の利いたスパイスとなっている。

最後のおまけだが、島田は平成の芥川である。しかも芥川と違って長編が得意だ。
されど島田は、可哀相なことに平成の小説家としてはあまりにも知が勝ちすぎるので、偉大な小説家の要件である「小説馬鹿野郎」にはけっしてなれず、そのために一流作家になれず、またそのために血が不足していると誤解されているほどだ。

卒璽ながら、私は芥川は長編が書けない自分に絶望して自殺したと考えている。

左耳の聴こえぬその歌手を音程悪しと罵りしわれ 亡羊

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