Friday, January 25, 2008

ある丹波の女性の物語 第46回 

遥かな昔、遠い所で第68回

 父が召されて28年がたってしまった。時代は移り変わり、洋装の時代となり店は縮小していった。

 夫は父の死後、株に興味を覚え、ラジオの短波放送に聞き入る事が多くなった。そして1年後には持ち株の殆どをうしなってしまったのである。38年の大暴落をまともに受けた訳である。

 しかし、長い間養子として父に押さえられていた、若い日の代償と思えば、それは安すぎるものかも知れないと思う。
 その後、夫は教会に熱心に通い、父への墓参をかかさなかった。

 その間に、長男は早稲田へ、次男は府立医大へ、娘は同志社へと進学、揃って特別奨学金も受け、アルバイトもしてくれた。

 59年、夫の死は全く夢のような出来事であった。隣の街に入院している人に、とどけものをしようと、綾部駅へ急ぐ途中心筋梗塞が起こり、自分で近くの病院へ行き、そこで息がたえたのである。出かけてほんの僅かの出来事で、とても信じられなかった。

 夫は朝のジョギングを長年つづけ、自分の健康には自信があったので、医師になった次男にも脈をとらせた事がなかった。最後の脈も、とらせる事なく召されたのである。

 夫も教会の役員となり、社会奉仕にもつとめたが、目立つ事の嫌いな人であった。しかしその優しさは、人の心にうつるものがあったようで、死後、思いがけない人々から慰めの言葉を頂いた。



水無月祭
老ゆるとは かくなるものか みなつきの
 はじける花火 床に聞くのみ   愛子   (「水無月祭」は綾部の夏祭り)  

もゆる夏 つづけどゆうべ 吹く風に
 小さき秋の 気配感じぬ  愛子


打ちつづく 炎暑に耐えて 秋海棠
 背低きままに つぼみつけたり 愛子

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