Saturday, September 08, 2007

コリン・マッケーブ著「ゴダール伝」を読む

降っても照っても第49回

映像の天才詩人、ジャン・リュック・ゴダールに関する包括的な評伝が初めて刊行された。私はむかしからヌーヴェルバーグの作家や作品は嫌いではなく、特にゴダールとは1985年にテレビCMを2本作ってもらうために彼がいまも住んでいるスイスの小村ロールに出向き、やあこんにちはと挨拶したこともある(その頃ちょうど「こんにちはマリア」が公開されていた)ので懐かしく手にとった。

著者のコリン・マッケーブは名前からも分かるようにアイルランド系の英文学者兼映画研究家兼映画製作者。文学のみならず歴史や哲学の造詣が深く、英国映画協会の製作部長時代にゴダールに番組制作を依頼したりインタビューしたりしている。

文章が突然「分節化」されたり、精神分析の論文と化したりして無学な私には理解を超える個所もないではないが、この不世出の映像作家の先祖代々の系譜や幼年時代のエピソード、さらにこれまであまり解明されていなかった革命的ジガ・ヴェルトフ時代の活動、さらに生涯の伴侶アンヌ・マリ・ミエヴィルとの愛と創造の共同生活などを、映画史におけるゴダールの好意的評価とともに要領よく紹介している。

本書によれば、ゴダールは昔から盗癖があり、1952年にチューリッヒの刑務所に入るまでの5年間繰り返し盗み、捕まることを繰り返しているが、これは彼のブルジョア的な成育環境とそこで植えつけられたピューリタン的宗教教育への敵意・反発が潜んでいるようだ。

祖父が大事に所有していたヴァレリーの署名入り初版本を盗んで古本屋にたたき売る少年ゴダール。そんな少年の内気な態度や長い沈黙は、彼のパナマ、リマへの長い南米旅行から始まった、とトリュフォーは語っている。

若きゴダールはパリでの大学受験勉強に失敗してスイスに舞いもどり、アルプスの高地にある巨大な大型ダム建設現場で働き、これがプロレタリアートとしての自己確認の原点となった。

しかし渡世人ゴダールの振り出しはクロード・シャブロルから譲られた米フォクス映画の宣伝広報担当への就職で、このポジションはわが国の不世出の映画評論家淀川長治のそれを想起させるものがある。
ゴダールは米国映画帝国主義への敵意と反感をいまでも隠さないが、「勝手にしやがれ」のプレスキャンペーンやマスコミ対応などは不倶戴天の敵国の作法をしたたかに流用しているのである。

ゴダールの出世作「勝手にしやがれ」は、オットープレミンジャーの「悲しみよこんにちは」における冷酷な仕打ちにこりごりしていたジーン・セバーグちゃんと、当初ゴダールを黒眼鏡のホモだと思って毛嫌いしていたジャン・ポール・ベルモンドを得て大成功を勝ち取った。サンジェルマン・デ・プレで撮影されたベルモンド、ゴダール、ボールガールの写真はカッコいい。

ゴダールの生涯をきらびやかに彩るファム・ファタール第1号は石鹸の広告モデルをしていた18歳のデンマーク人、ハンネ・カリン・バイヤーである。

彼女が「エル」の撮影をしていたとき、女優になりたいという願いを聞いたココ・シャネルから「そんな名前ではたぶんなんれないわよ」といわれたのが、アンナ・カリーナ誕生の瞬間だった。

カリーナを恋人から奪って始まったこの至上の恋は「女は女である」「女と男のいる舗道」「はなればなれに」「アルファビル」まで持続したが、なんといってもゴダールとの間にできた男児の流産が二人に致命的な打撃を与えたようだ。

ファム・ファタールの第2号は、白系ロシア人貴族の娘にしてかの有名なフランソワ・モーリアックの孫娘であるアンヌ・ヴィアゼムスキーであった。

68年の5月革命を共に駆け抜けたヴィアゼムスキーとゴダールの結婚は当時大きな話題を呼んだという。アンリ・ラングロワのシネマテーク館長解任に反対してドゴールとアンドレ・マルローに抗し、パリの学生・労働者と共に市街戦の指揮を執っていた40歳のゴダールの姿はいまなお輝かしい。

けれども「軽蔑」の主演女優BBのご機嫌を取るために得意の逆立ちをするゴダールや、ポランスキーの妻シャロンテートが惨殺されたニュースを聞いて「いいぞ、あいつは例の作品の権利を僕から盗んだ奴だからな」と暴言を吐き、アポロ13号に搭乗中の三人の宇宙飛行士に対し「地球に戻らず宇宙で死ねばいい」と何度も表明する姿はとても醜い。

全裸の映像をおぞましいポルノグラフィーに転化しないために陰毛が映っているカットが必要であると女優に強制したり、疲労困憊して顔で「パッション」のスタジオ入りをしたハンナ・シーグラに向かって、「一晩中やっていたんだ。顔のしわをみんなに見せてやればいい」と怒号するゴダールの姿もとても醜い。

「人生における最大の価値は、真であり、善であり、美であるからその格率を体現する作品をつくってほしい」という、(クライアントである)私のCM企画意図に賛同し、プレゼン用のビデオ作品を自主的に制作し、見事な作品をつくってくれたゴダールその人だけに許せない思いが強いのである。

けれどもマオイストとなって永久革命の夢からさめることができなかったゴダールのおいさらばえた精神と肉体に愛と休息の場所を与え、1979年製作の「勝手に逃げろ/人生」で奇跡の映画復帰をもたらし、いまなおスイスの小さな隠れ家でにあって世界一孤独で唯一無二の映像革命作家をしっかりと支えているのが、彼の3番目の運命の女性、アンヌ・マリ・ミエヴィルなのだった。

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