降っても照っても第56回
今日の朝日新聞によれば、文芸誌の書き手が既存の専業作家から演劇畑などの異業種に拡大されつつあるそうだが、国会議員にお笑いタレントや格闘技選手が進出しているご時勢なのだからこれは遅きに失した当然の成り行きだろう。
才能の発掘の余地はつねに広く開かれていなければならない。本書の著者も本職は詩人であるが、詩人らしい繊細な感性を生かしてなかなか面白い短編を3本並べてくれている。
表題の「タタド」というのは、意味不明のタイトルで始末に終えないが、要するに海の傍の広い1軒屋に集った2組の熟年カップルが、ふとしたはずみにスワッピングしてしまう話で、ひとつ間違えば低俗ポルノに堕しかねないプロットを、著者はその寸前で見事に持ちこたえて、絶妙なクライマックッスを築くことに成功している。
しかしその文尾は、「寝室から、タマヨのあげる大きく荒々しい声が聞こえてきた」というのだが、詩人にしては少しく下品な日本語ではないだろうか。
「波を待って」もやはり舞台は海であり、この短編の主人公は、終始海から吹き続ける夏の終わりの風である、といってもよいだろう。突然サーフィーンに狂ってしまった夫の帰還をひたすら海辺で待ち続ける妻のモノローグは、どこかヴァージニア・ウルフの「波」の独白を思わせるところがあった。
私の隣人もサーファー夫婦だが、この小説を読んで、若い彼らがいったいなににとりつかれて毎日のように海に行くのか、その一端がおぼろにつかめたような気がした。
最後におかれた「45文字」は物語の設定がやや強引に過ぎると思うが、末尾の二人の登場人物のこれからが気になる。
このように著者の短編は、はじめは処女の如くおずおずと助走を開始し、徐々に加速しながら最終地点で脱兎の如く読者めがけて投じられる長弓のように、むしろ物語が果てた後で、その大きな震動が私たちを揺るがし始めるのである。
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