Friday, September 14, 2007

ドナルド・キーン著「私と20世紀のクロニクル」を読む

降っても照っても第50回

「日本文学の歴史」全18巻、「明治天皇」、「足利義政」そして「渡辺崋山」。いずれも素晴らしく読み応えのある書物であったが、その著者による自叙伝が本書である。

この人は幼い時に妹が亡くなり、両親が離婚するという悲運に見舞われながらも、いつも古きよき時代のアメリカ人だけが持っていた明朗闊達さを失わず、その文章はまるでモーツアルトのハ長調のような透明な単純明快さがある。

ここらあたりが源氏物語を翻訳したアーサー・ウエイリー、ラッセル、フォスターのみならず、谷崎、川端、三島、吉田、河上、石川、安部、永井、篠田、嶋中など日本の代表的な文学者、書店主に愛された理由であろう。

1945年に生まれて初めて朝日に染まる雪の富士山を見て涙し、飛行機の中で荷風の「すみだ川」を読んで泣き、茂山千之丞に狂言を学んだ初めての外国人キーンは、日本人以上の日本人かもしれない。

50年前の京都や原宿の暮らしに寄せる懐旧の情も胸を打つが、著者が傷だらけになった日本の現在、そして未来に寄せる深い愛情こそ貴重なものに思われる。

1938年、16歳で初めて見たメトのオペラ「オルフェウスとエウリデーチエ」やフラグスタートのワグナー、マリア・カラスの「ノルマ」(このライブ録音のレコード&CDには著者のブラーヴァ!の絶叫が収録されている)するなどオペラ黄金時代の感動的な体験を読むとうらやましい限りである。

しかしもっとも印象的なのは三島由紀夫との交友の思い出である。
三島が70年11月の自栽の前夜に書いた著者への手紙は最近出版された「三島由紀夫全集」の書簡編に収録されているが、本書には最後から2番目の手紙が紹介されている。

『豊饒の海』は月のカラフルな嘘の海を暗示した題で、強いていへば宇宙的虚無感と豊かな海のイメージをダブらせたやうなものであり、禅語の『時は海なり』を思ひ出していただいてもかまひません。

私はこの『時は海なり』という言葉のなかに、三島の世界観が要約されていると思った。

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