Monday, January 24, 2011

斎藤智裕著「KAGEROU」を読んで

照る日曇る日 第405回

生活に窮し、未来に絶望して死にたくなった若者ヤスオが、デパートの屋上庭園から飛び降り自殺を試みたが、たまたま居合わせた医療法人全日本ドナー・レシピエント協会の特別コーディネーター京谷に一命を救われる。

そして京谷は、どうせ死ぬならわが協会に全部の臓器を寄付してから死ねば、死後に大金が振り込まれるといってヤスオを説得する。

さまざまな紆余曲折を経てその契約が実際に遂行されるわけだが、その短かった生涯の最後の日に、若者は恋を知り、人を愛することの素晴らしさのめざめ、命の大切さに改めて気付き、

「皮肉なもんだよな。いままでの人生で今日ほど生きたいと思った日はなかったよ」

と言いながら死んでいく。移植されたヤスオの心臓が、恋する少女アカネの胸の奥で脈打つことを信じながら……。

というプロット自体は、かなり平凡だとしても、それほど悪いものではない。しかし問題は、この物語を演奏する奏者と楽器の凡庸さと無個性に尽きるということになるだろう。

いやしくも一篇の中間小説を物語ろうとするなら、他の作者と鋭く一線を画するそれなりに個性的な演奏法、つまり文体の独自性というものが必要だろうが、それらは236頁の全文のどこにも、かけらすらない。

これは私の勘で言うのだが、この小説はプロット自体は著者自身のものだとしても、それを実際に文章化したのは複数の手練れのライターではないだろうか。そうでなければたった一時間で読了できる、まるで漫画かテレビドラマのシナリオのように超フラットな文章が、こうも延々と続くわけがない。

かてて加えて、驚いたことには232頁の3行目に致命的な誤植があり、その活字の上から正しい固有名詞を記した白いシールが平然と張り付けてある。卑しくもれっきとした名のある出版社なら、即刻全本回収して刷り直した新本を提供すべきものではないだろうか。



7年間細々続きし仕事なれど絶えてしまえばいと寂し 茫洋

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