Saturday, January 22, 2011

奥泉 光著「シューマンの指」を読んで

照る日曇る日 第404回

この人も「シューマンの徒」であると知って勇んで手に取ったのです。ずいぶんシューマンに親炙されたようではじめのうちは喜びを覚えつつ頁をめくっていました。

ところがこの本は私が勝手に予想していたシューマンの伝記小説ではなく、下らない民放テレビでよくやっている「家政婦は見たか見ないかなんちゃって殺人事件」の謎解きスタイルをベースにしながら、要所要所に音楽の蘊蓄を傾けるという趣向になっています。

文中、音楽家シューマンとシューマンの楽曲の解釈や評価についての記述は迚も興味深く、この作曲家に多大の魅力を感じてはいても、そのよってきたる由縁についての理解が浅かった私などに裨益するところは多々ありましたが、さて全体的な小説としての出来栄えはどうであったかと問われれば、最末尾のあっと驚く殺人事件のどんでん返し、さらには本作の小説構造を一瞬にして解体してしまうという魔法のような裏技、そのトリッキーなお手並みを大いに評価するにしても、

「で、それがどうしたの?」

と呟かざるを得ない、このー、

「なんだかかなあ」

という白けた気分が、窓の外の木枯しのように心中を冷え冷えと吹き過ぎていったことも事実です。こんな大脳前頭葉でこねくり回した小説をでっちあげる代わりに、平野啓一郎のショパンの向こうを張って「音楽の友」でユニークなシューマン論を連載していただきたいものです。


  書いて書いてもトカトントン読んでも読んでもトカトントン 茫洋

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