Tuesday, January 25, 2011

ヒッチコック監督の「めまい」をみて

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.78


ヒッチコック監督の1954年の「裏窓」が冷女グレース・ケリーを称揚する映画だったとするなら、この1958年の作品は冷暖房女、キム・ノヴァクの祭壇に額ずくためにヒッチガ作ったフェチシネマです。

 「裏窓」と同じく美神に翻弄されるあほばか男を演じるのはジェームズ・シュチュワート。探偵の心を鷲つかみにするのはクールビューティ、キム・ノヴァク1号。その神秘的で妖艶な美貌はどんな禁欲的な男にも一撃で眩暈をおこさずにはいられないほどの物凄さです。

 しかし探偵の愛と追跡をうまくまいて素顔に戻ったキム・ノヴァク2号のしまりのない顔と太り気味の体躯は、もはや同じ名前を持つ女優の姿形とは思えません。したがってこの映画が証明しているのは、人間は洋服と化粧、とりわけヘアメイクで全部変貌してしまう存在だ、ということです。

 人間、特に女性は自分とは違う存在にあこがれて衣装と化粧に終生身をやつすのですが、それが夢でなく手軽に実現できる変身手段であることは、素顔の坂東玉三郎や鈴木保奈美の目の前に立ちながら、それが言われるまでは本人とは気づかなかった私の個人的な体験からも確言できます。

 人工的に完成された極限の異貌美にとりつかれ、激しく固執し、恍惚のエクスタシーに見舞われた男の悲喜劇、それが「めまい」の世界に他なりません。大きな苦労を重ねてキム・ノヴァク2号をキム・ノヴァク1号に変身することに成功したあほばか男は、クールビューティの突然の不慮の死によって致命的な打撃を受けたはずです。

ヒッチの映像筆致は本作でも異様なまでに冴えわたり、シスコの坂道を白いシボレーに乗った探偵が謎の美女の緑のロルスロイスを追って追跡するシーンはまだなにも事件が起こっていないにもかかわらず背筋がゾクゾクするような気がしてくるのですが、これは2人が運命的な出会いをしたその瞬間に、約束の「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲をちらちと挿入してみせた名人バーナード・ヘルマンの音楽が大きく物を言っているようです。


     お父さんなんて自分のことばっかり 茫洋

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