♪音楽千夜一夜 第161夜
交響曲は1番がジュリーニ&シカゴ響、2番がクレンペラー&フィルハーモニア管、3番がサイモンラトル&バーミンガム市響、4番がホーレンシュタイン&ロンドンフィル、5番がクラウス・テンシュタット&ロンドンフィル、6番がバルビローリ&ニューフィルハーモニア管、7番がラトル&バーミンガム市響、8番がテンシュタット&ロンドンフィル、9番がバルビローリ&ベルリンフィル、大地の歌がクレンペラー&フィルハーモニア管、10番がラトル&ベルリンフィルといった布陣で同工異曲のグラモフォン盤におさおさ劣るものではない。
しかしこうして全曲を順番に聴いてみると聴者の耳に対してはともかく心に対してきちんと届く音楽をやっているのは1にクレンペラー、2にテンシュタット、3にバルビローリという順位は明々白々で、相変わらず得体のしれない演奏を続けているサイモンラトルという指揮者への疑惑の念はここでのマーラーを聴いてもいっこうに消えなかった。
最近のラトルではブラームスの交響曲全集をああこれはベルリンフィルの音だな、と懐かしく聴いたが、それだってかつてのフルベン、カラヤン、近くではアバドの演奏をいささかも凌駕するものではなく、いったいこの指揮者のどこがよくてベルリンの連中はかれをシェフに選んでいるのか私のようなロバの耳には理解しがたいところである。
こと伝統芸術や再現芸術の出来栄えにかんしては、フルベン、トスカニーニ時代の演奏の方が最新版のそれよりもずんと胸に沁みるのは楽器も演奏技術も格段の進歩をしたはずなのに、いったいどうしてであろう。
私が密かに期待していた若手のティーレマン&ウイーンフィルによるベートーヴェンの4番、5番、6番の交響曲も、教育テレビの映像で見る限りは、亡きクラーバーの下手くそなモノマネ猿芝居のようでほとんど噴飯ものであった。彼はやはりオペラの人なのだろう。
♪熊のような大猿が名指揮者の猿真似をしていたよ 茫洋
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