Sunday, September 05, 2010

トマス・ピンチョン著「メイスン&ディクスン」を読んで

照る日曇る日 第368回

この万年ノーベル文学賞候補作家の作品について、格別面白いとか内容が深いとか文学史的な意義があるとか思うたことは一度もない。

ないのになぜこうやってつらつら紙面に眼をさらし続け、唐人いな米人の寝言に耳を傾けているかというと、このいかにも面妖でけったいかつ思わせぶりな作者の悟り澄ましたような面持ちについつい吸引せられて、太平洋の大波のごとく繰り出される話題と思藻と逸話と笑話と小話の数々にあだかも人参に目移りするポニーのごとく広い地球のあちらこちらに引きずりまわされているうちに、とうとうさしたる事件もカタストロフも世界革命も、ありそでなさそで黄色いサクランボの1粒も転がることなく、唐突な巻頭とおんなじ調子でこの世紀の長編大小説が忽然と終了してしまうからである。

全体の構図としては、英国から漂流してきた2人の天文学者兼測量技師メイスンとディクスンが、独立戦争以前の植民地アメリカを舞台に繰り広げる抱腹絶倒のはずの弥次喜多道中膝栗毛であるが、十返舎一九の道中小噺は読んでいて時折くすりと笑えるほどには面白いが、亜米利加版の弥次さんも喜多さんも作者が♪ペペンペンペエンと自分で囃すほどに面白いものではなく、読めば読み進むほどに小澤征爾の指揮と小沢一郎の御託と同様、退屈とあくびの山がそびえたつばかり。

滑稽喜劇小説であるはずなのに巻末では主人公たちのあまり幸福でもない最期にいささかのいたましさを覚える始末でありやんすが、なんといっても致命的なのは、雄大なピラミッドを支えるほどにあまたの岩石で構築されたアネクドートや小噺がそれこそ無機物で無味乾燥で、教養の気付け薬にはなるかもしれないが、吉本興業の下らぬお笑いほどにもくすりとも笑わせてくれないことだ。

上下巻合わせて1094ページの超くだらん放漫脳味噌全開大小説をば、英語フランス語スペイン語の蘊蓄やら西洋史やら天文学やら測量学の専門知識を随所にふりまくペダンチックな作者の驥尾に付して懸命に邦訳された柴田元幸さんご苦労さん。あなたこんな小説必死で翻訳してほんとに面白かったの。

なに、面白そうで面白くないところが面白い。うむ、天下の大小説はみなそうかもしれんて。しかし唯一面白がっているのは作者だけだろう。見上げた根性だ。私には徹頭徹尾つまらんかった。キンチョールのCMで大滝秀治が言う通りだ。

やい、トマス・ピンチョン。お前の話はつまらん。まったくつまらん!


♪どうしようもなくつまらないのにつまるようにもてはやす世間の痴れ者たちよ 茫洋

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