♪音楽千夜一夜 第160夜
グールドのバッハについては「吉田秀和翁称揚以後」は、それまで無視していたあほばか評論家も含めて猫も杓子も絶賛の嵐だが、その他の作曲家の演奏の是非についてはほとんど語られない。わずかにモーツアルトのソナタの異常に遅いテンポについて非難めいた言及がなされるくらいだが、ここで紹介するベートーヴェンがそれほど悪い演奏であるわけがない。私は彼のピアノソナタにはモーツアルトほどの感銘は受けないけれど、5つのピアノ協奏曲はLPの時代から好んで聴いていた。
とりわけバーンスタインの棒で入れた5番の「皇帝」の演奏は見事で、トルコ行進曲とは正反対のゆったりとしたテンポのオーケストラをバックに、ベートーヴェンの音楽が持っている豪胆と深々としたエロスを、いかにもグールドらしい知的に制御された頭と手と足で自在に演奏してのけていた。
この曲の第二楽章はかつてオーストラリアの映画監督ピーターウィアーの処女作「ピクニック・アト・ハンギングロック」で思いがけず効果的に引用されたことを懐かしく思い出すが(音楽担当はブルース・スミートン)、それはグールドの録音ではなかった。
それが録音されたのは60年代の終わりごろのことで、私は友人の友人が作陶にいそしむ西伊豆の山奥のアトリエで深夜ボリュウームを最大限にあげたステレオオーディオ装置でその大自然と一体化した雄大な演奏を聴いたのだが、グールドの例の唸り声と共に終楽章のコーダが空高く飛翔していった真夏の銀河のきらめきを、いまでもつい昨日のことのように思い出すのである。
なんでもこのテンポについては指揮者とピアニストの間で意見の対立があったが、結局バーンスタインが折れて、「このテンポには同意できないが発売には同意する」というコレジットが付されていたと記憶する。バーンスタインはもっと早めのテンポを採りたかったに違いないが、実際のパフォーマンスはグールドの直観の正しさを裏付けているようだ。
しかし残念ながらこのセットに収められている「皇帝」はストコフスキーとアメリカ交響楽団の伴奏で、バーンスタイン盤の光彩はその片鱗もない。もしかするとその後偉大な存在に成りおおせたバーンスタインがソニーに圧力をかけて廃盤にしたのかもしれないな。
♪伊豆の夜真夏の銀河のさんざめきグールドの哄笑谷間を揺るがす 茫洋
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