♪音楽千夜一夜 第164夜
テープといってもCDです。フリードリッヒさんがひそかに自宅とかで1956年から97年にかけてこっそりテープレコーダーに録音しておいたやつを、彼の死後息子のパウル君が発見して、それを独グラモフォンから売り出すようにしてくれたお陰で、私たちはこの素晴らしいモーツアルトに接することができたのです。
それだけではありません。パウル君は偉大なお父さんが未完のままで放り出していたK.457の第3楽章をできるだけグルダ風に追加演奏して、親子合奏完結盤を新たに制作してくれました。
私は父グルダには会ったことなどないのですが、1961年生まれの息子のパウル君には、かつて渋谷のタワーレコードでひょっこりはちあわせしたことがあります。
私が6階のクラシック売り場でCDを物色していると、すぐそばにひとりの外国人がやってきて、やはりウロウロしています。その顔がどうもどこかで見た顔で、よく見ると「パウル・グルダが渋谷タワーにやって来る!」というポスターの写真の顔なのでした。
あちらの国の人たちは、こちらの国の人たちと違ってべつだん知り合いでなくとも挨拶代りに笑顔を差し向けますが、このときもパウル君が私に頬笑んだので、急いで慣れない「頬笑み返し」をしながら私が、「もしかして貴君はパウルさん?」と尋ねると、その青年はなぜかはにかみながら、小声で「イエス」と答えたので、私は特に理由はないのですが、それ以来おのずとパウル君の熱烈なファンになったのでした。
そんなパウル君が、亡き父君のために編んだ、私の大好きなモーツアルトのピアノ曲集は、これからも生涯の愛聴盤となっていくのでしょうが、どのソナタに耳を傾けても、聴衆をまったく意識しないインティメートな表情と赤裸の心に打たれます。
どうやらグルダは、モーツアルトその人に聴いてもらうために、深夜そっとベーゼンドルファーの鍵盤に触れているように思われてなりません。
そしてその白眉は、ボーナスCDに付された「フィガロの結婚」の自由なパラフレーズ集。たった1台のピアノが、スザンナの、モーツアルトの、そしてグルダの生きる喜びと悲しみをあますところなく表現しています。
ああグルダのフィガロ この演奏を耳にせず泉下の人となるなかれ 茫洋
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