Saturday, January 30, 2010

西暦2010年睦月茫洋花鳥風月歌日誌

♪ある晴れた日に 第70回



てめえなんか死んじまえと叫ぶたびにどこかで誰かが死んでいる

あんたのことが大好きよと囁くたびにどこかで花が咲いている

クビライの奴婢となりたるわが国の行く末憂う今年の初夢

興隆しやがては沈む英国の大人の姿大和も辿れよ

沖縄よ独立せよすべての基地すべてのアメリカー、すべてのヤマトンチューを投げ捨てて

処女の生き血吸う酔狂老人死してヌーベルバーグ死せり

昨日91歳の老人が麦畑で死んだ

ムクよ墓穴から飛び出してアホバカ小沢と鳩山の喉笛を咬め

マイアミで1泊しようと言いしはスエーデンのモデルなりしが

美貌のヴァイオリニスト腋の下を見られている

伊勢丹の武藤氏斃れたり歳六十三瞼に浮かぶよ颯爽たる展示会の姿

ト短調で生きるなハ長調で生きるんだ

歯が痛いなかで半年も生きていることよ

1羽の鳶をどこまでも追いかける2羽の鴉

他愛ないあほばか番組見る妻があどけなく笑うのが好きだ
 
ウジ虫のような存在にも生きている意味があるはず

悲しみはイ短調で鳴る横須賀線の踏切

お母さん誕生日おめでとうと言うて次男横浜に去る

地デジチューナーなんて役立たずだとお払い箱にする

大枚をはたいて下らぬ公演を見せられてそれでも喜ぶ阿呆な観客

大戸屋で20円のお釣りをもらいそこね終日不愉快な水曜日なり

大船の観音様の左側に毎朝のぞむ富士の白雪

フランク永井になった夢を見た。一晩中有楽町で逢いましょうを歌っていた。一睡もできなかった。

仏とは誰ぞ仏の教えとは何ぞお山を降りし僧の悩みは深し

われに問うほんとうに南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生できるのだろうか

正月のあっという間に終わること

虎減って寅歳増えるお正月

虎絶えて寅のみ殖えるお正月

墨痕淋漓「解脱」てふ賀状到来す

歌の在庫がなくなった

昔の自分は死んだらしい


♪目には目を 歯には歯を 死には死を 詩には詩を 茫洋

Friday, January 29, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第33回

bowyow megalomania theater vol.1


僕はとてもとても悲しくなって、大好きな家族の人にそんなに嫌われてはもうどうしていいのか分からなくなって、「岳君、嫌いですか、嫌いなんですか?」と、3人に聞きました。

そしたら3人が声を揃えて
「岳君なんか大嫌い!」
と言ったので、僕は泣きました。
僕は身も世もなく大粒の涙をじゃんじゃん流しながら泣きました。

「岳君、嫌い? 嫌い? 岳君、好きです。岳君、好きです」
と言ってわあわあ泣きました。

すると、お母さんまで泣きました。
お父さんと純ちゃんの目にも光るものがありました。

それから3人が口々に
「だいじょーぶ。岳ちゃん大好きだよ!」
と叫んでくれたので、僕は、
「岳ちゃんじゃないよ。岳君だよ」
と言って、やっと泣くのをやめました。

僕はこの人たちに嫌われたら生きていけないのです。命が続かないのです。
だからもう絶対に僕をからかうのはやめてください。冗談言うのはやめてください。


昨日91歳の老人が麦畑で死んだ 茫洋

Thursday, January 28, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第32回

bowyow megalomania theater vol.1


僕は3度の食事が大好きなのです。1日でいちばん楽しいのが、ごはんです。はっきり言って、僕はごはんを食べるために生きているのです。そのことを僕より分かっているのは庭にいるムクだと思います。しかもムクのごはん、1日に2回だけですよ。

みんなによってたかって「いいかげんにしなさい」と言われたものだから、僕はとても悲しくなりました。
僕は「はい、分かりました。いいかげんにします。もう食べました」と言いましたが、お父さんは、「お前はいつも大食いだ。大食いのブタだ。ブタブタの岳は、お父さんは大嫌いだ!」と言いました。
純ちゃんも「岳なんて、大嫌いだ!」と言いました。お母さんまで白い目をして、「岳ちゃんなんか大嫌い」と言いました。


僕はとてもとても悲しくなって、大好きな家族の人にそんなに嫌われてはもうどうしていいのか分からなくなって、「岳君、嫌いですか。嫌いな人なんですか」と3人に聞きました。そしたら3人が声を揃えて「岳君なんか大嫌い!」と言ったので僕は泣きました。僕は身も世もなく大粒の涙をじゃんじゃんおしみなく流しながら泣きました。

みんなによってたかって「いいかげんにしなさい」と言われたものだから、僕はとても悲しくなりました。僕は「はい、分かりました。いいかげんにします。もう食べません」と言いましたが、お父さんは、「お前はいつも大食いだ。大食いのブタだ。ブタブタの岳は、お父さんは大嫌いだ!」と言いました。
純ちゃんも「岳君なんて大嫌いだ!」と言いました。お母さんはまで白い眼をして「岳君なんか大嫌い」と言いました。


♪大船の観音様の左側毎朝のぞむ富士の白雪 茫洋

Wednesday, January 27, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第31回

bowyow megalomania theater vol.1


犬は吠えるだけじゃない。歩いているだけの人を歯をむき出しにしておっかけてくる。逃げる人を追っかけてかみつくのが犬です。
僕は小さい時におっかけられて咬まれました。だから犬はぜんぶ嫌いです。うちで飼っているムクも嫌いです。犬は嫌いだ。いやだ。大嫌いだ。

10月13日 晴

お父さんとお母さんと純ちゃんと4人で晩御飯を食べました。
にんじんとかおいもとかいろんな野菜の入っているチャンコみたいなお汁を2杯おかわりして、シイタケの混ぜご飯を3杯おかわりして、昨日の残りのカレーライスをチンしてお茶碗に半分くらい食べました。

それから生協のアイスクリームをペロペロなめてとてもおいしく頂いたあと、チャンコ風お汁の3杯目の口にしようとしたら、突如お父さんがオッカナイ顔で、
「こら、岳、そんなに食ってばかりいると豚になるぞ。豚、豚、ブー、ブー、いいかげんにしなさい!」
と言いました。

隣の純くんも、
「岳ちゃん、豚、豚、ブタになる」
とはやしたてました。いつもは優しいお母さんまで
「もう3杯目でしょ。いいかげんにしなさい」
と言うので、僕はすっかりしょげこんで悲しくなってしまいました。

 
♪大戸屋で20円のお釣りをもらいそこね終日不愉快な水曜日なりき 茫洋

Tuesday, January 26, 2010

吉村昭著「ふぉん・しーほるとの娘」を読む

照る日曇る日第324回

「ふぉん・しーほると」となぜだか平仮名で書かれているのはドイツ人科学者フォン・シーボルトそのひとで、彼と円山遊郭の遊女お滝との間にできた娘お稲がこの長編小説のヒロインです。

シーボルトはドイツ人であるにもかかわらずオランダ人をかたって長崎の出島にやって来て、医学や諸科学、オランダ語などの高野長英などの洋学の徒に教え、蘭学の師として高い声望を獲得しますが、その見返りに伊能忠敬などが作った地図などを無断で持ち出そうとして国外追放されてしまいます。

要するにスパイですね。この男はオランダに戻ってから今度は世界一の知日派としてアメリカに自分を売り込んでペリー提督に断られたりしています。学問はできたようですが、かなり軽薄な才子だったようです。

その有名な「シーボルト事件」で国外追放された父とお稲が、思い出の長崎で再会したのは、それからおよそ30年後のことでした。

14歳の時に医師を志し、故郷の長崎を離れて宇和島に行き、シーボルトの弟子二宮敬作、次いで岡山の石井宗謙のもとでオランダ語と医学を学んだお稲は、江戸後期から明治初年をつうじてわが国の唯一の女性産科医師として活躍を続け、宇和島藩の元藩主伊達宗城から伊篤という名をいただいたお稲は、福沢諭吉の推薦もあって宮内庁御用係の栄誉も受けたのですが、私生活上では苦難の道をたどらざるをえませんでした。

父の血を受け継いだ美貌の彼女は、恩師石井宗謙によって強姦されてタダという娘を産みますが、信頼していた教育者に裏切られたお稲の男性不信は、再会した老いたる父親が次々に近くの女性と肉体関係を持つあさましい姿を目にしてますます深まり、70歳を越えて新都とうけいで没する日まで変わらなかったようです。

タダは長じて2人の医師に嫁ぎますがいずれにも若くして先立たれ、お稲はタダ改め高子と3人の孫に囲まれながら明治36年1903年8月26日午後8時過ぎに波乱に満ちた生涯の幕を閉じるのです。(この「午後8時過ぎ」と書くのが吉村昭の真骨頂!)
最晩年の彼女のよろこび、それは父シーボルトの血をひく彼女の孫周三が、慈恵医院医学校に入り、医学の道を志したことでした。

幕末から明治時代の後期までの長崎、大坂、江戸東京を舞台に、シーボルト家の人々の激動の生涯を悠々と描くこの大河小説は、同時に近代日本が遭遇した尊王攘夷運動、黒船襲来、安政の大獄、王政復古、西南の役、文明開化の有為転変を併せて辿る壮大な歴史絵巻でもあります。


♪フランク永井になった夢を見た。一晩中有楽町で逢いましょうを歌っていたので、一睡もできなかった。茫洋

Monday, January 25, 2010

中村稔著「中原中也私論」を読んで

照る日曇る日第324回

詩人でもある中村稔がものした中原中也論を読みました。だいたい私は

ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。        「曇天」

天井に 朱き色いで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
手にてなすないごともなし          「朝の歌」


などという彼の代表作を目にしただけで、心がその詩句を音楽のように高鳴らせ、その旋律や音色やハーモニーをまた心の耳がじっと聞き入るという風な受け取り方をして、その詩的音楽の響きに打たれることが、すなわち中也の詩を鑑賞するという楽しみのすべてでしたから、上に挙げた「曇天」について著者が、詩人は生来二重の性格を持ち、いわば自分の中にもうひとりの自分を内在させていて、終生その内部対立と相互分裂に苦しんだ証拠である、後者については、抒情はあっても思想内容に乏しい、などと言いだすと、それが彼の詩の価値とどういう関係があるのだと反論したくもなるのです。
長谷川泰子との同棲で小林秀雄は他者に出会って社会的に成熟を遂げたけれども、中原中也は、生涯にわたって「外界」に出会わず、己一箇の隔絶したタコ壺的世界に自閉(けっして「自閉症的」ではない!)して終わった、などという笑うべき俗説も唱えられていますが、私と違って中原の詩の本質に迫ろうとする著者の志は壮としなければならないでしょう。
そして「これが手だ」と、手という名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられていることこそが、詩人の絶対的な要件だ、というのが、中也の詩論の中核であり、その天賦の才能が彼の詩魂の源泉であったと説く著者に対しては、格別異論があるわけではありません。
けれども著者は、「感想や思索ではなく直観や純粋持続の鋭さだけが詩人を詩人たらしめた」とせっかく正しいことを口にしながら、あれやこれやの証言や心理的な揣摩臆測、さらには西田哲学やフッサールなぞもせっせせっせと援用して、詩人中原の本性を再現し、彼の実像を懸命に立ち上げようと腐心するのです。

たしかに詩人と富永太郎、小林秀雄、大岡昇平、安原喜弘などとの交友の追跡記録はまことに興味深いものがあるのですが、この篤実な伝記作家の野望はついに実現されることなく、かの3代将軍が由比ヶ浜の海に放棄した破船のように、その巨大な残骸だけが浜辺に取り残されてしまいました。死んだ中原の真実を、長く生きた評論家の追及もついによみがえらせることはできなかった。これは顕微鏡的実証主義研究による要素還元主義の失敗の好個の例といえるでしょう。


♪歌の在庫がなくなった 茫洋

Sunday, January 24, 2010

リッカルド・ムーティ指揮ウィーンで「魔笛」を視聴する

音楽千夜一夜第106回

2006年モーツアルトイヤーにおけるザルツブルク音楽祭の公演をビデオで鑑賞しました。

指揮者とオーケストラはまずは当代一流のもので先代のベームにくらべたらいろいろ文句も言いたくなりますが、古楽器以外の演奏ではこれを凌駕するものは少ないのではないでしょうか。少なくとも凡庸な小澤の指揮にくらべたら、それこそ天国と地獄の違いです。

演出はピエール・オディという人です。1幕の舞台を台本通りに山に設定して、3人の侍女をチロルの服装にしたり、パパゲーノの猿轡をやめたり、魔法の鈴を球に変えたり、2幕のタミーノの試練の場を舞台後方に据え付けた棚上の三段の装置で処理したり、3人の天使の宙釣りや緑・黄・赤・青・紫のブライトカラーによって彩られたモダンな衣装や美術でそれなりの目新しさを演出していますが、いくら目先の変化で創意工夫をしてみても、肝心の歌唱陣が非力ではオペラの感動は生まれません。

タミーノのポール・グローブス、パミーナのゲニア・キューマイア、パパゲーノのクリスチャン・ゲルヘーヘル、ザラストラのルネ・パーペなどがそれなりに歌って演技してはいるものの、ハイライトの「パパパ」の二重唱にいたってもモーツアルト歌劇の霊感はついに訪れず、わずか2つの超絶アリアで圧倒的に気を吐いたのが「夜の女王」のディアナ・ダムラウただひとりとは、まことに寂しい限りでした。

こんなお寒い「魔笛」に対して、世界中から集まった聴衆がやたらブラボーを連呼しているのも馬鹿らしさの限り。モーツアルトイヤーの記念すべき公演とはとうてい考えられません。


♪大枚をはたいて下らぬ公演を見せられてそれでも喜ぶ阿呆な観客 茫洋

Saturday, January 23, 2010

「プロムス2009ラストナイトコンサート」を視聴して

音楽千夜一夜第105回

ロンドンから中継される「プロムス」も毎年こうやって聞いたり見たりしているわけですが、私がはじめてレコードを買ったコーリン・デイビスの時代に比べると英国という国の衰退に正比例するようにだんだん熱核の放射線を失ってきたようで、なんだかさびしい限りです。
往時のプロムス最終夜の愛国主義の爆発はそれはそれは極東の亡国の民を泣かしむるほどの凄まじさで、アーン作曲の「ルール・ブルタニア」なぞを聞くと、なるほどこれが世界の7つの海を制覇した偉大なる民族の魂の歌か、と腹の底から納得できたものです。
一〇年くらい前の熱血漢アンドルー・デイビス時代はまだその熱波の余熱がユニオンジャックが打ち振られる広大なロイヤルアルバートホールのそこここに滞留していたようですが、一昨年のロジャー・ノリントン辺りになると、ノン・ビブラートで奏でられる終局のエルガーの「威風堂々」は、威風どころか愛国者の心胆を寒からしむ冷たい異風が吹きすさぶ演奏となり、昨年のデーヴィッド・ロバートソンによるBBC交響楽団の演奏もメゾ・ソプラノのサラ・コノリーとトランペットのアリソン・バルサムという二人の女性の熱演こそあったものの、どうにもしまらない指揮ぶりでした。
人間と同様、国家も音楽も、成長から衰退、大国から小国、青春期から老年期、熱狂から冷却という推移を不可避的に辿るのではないでしょうか。


♪興隆しやがては沈む英国の大人の姿大和も辿れよ 茫洋

Friday, January 22, 2010

五木寛之著「親鸞」下巻を読んで

照る日曇る日第323回

日本仏教界の巨聖にして偉大なる宗教改革者、親鸞の波乱万丈の物語の後篇です。
おおいに期待していたのですが、ちと物足らず。そのわけは、本作がどうにも尻切れトンボの終わり方をしていること、それから作者が主人公をあまりにも現代人の感覚に平準化しすぎているためか、歴史的現在という架空の時制における親鸞像のエラン・ヴィタール(生命の飛躍)が説得力をもってうまく立ちあがってこないことにあるようです。(ちなみにこの文飾技術に格別の冴えをみせたのが司馬遼太郎でした)

比叡山のエリートであることを弊履の如く投げ捨てた若き日の親鸞は、京の大谷吉水で専修念仏の教えを説いた法然上人の弟子となり、民衆と生活をともしながら生活するようになります。おのれの欲と煩悩にさいなまれながらも、仏道の修業に励むわれらが主人公は、やがて法然の「異端的正統の後継者」として、唯一無二のお気に入りとなるのですが、やがて守旧派である南都北嶺の意を体した後鳥羽上皇の強権発動によって「念仏停止」の命令が下り、あわれ法然一派は死刑や流罪の厳罰に処せられてしまいます。

親鸞もまた越後に流されることになるのですが、彼が法然の一番弟子である立場を脱して、彼独自の浄土真宗の思想世界を切り開いていくはずの不遇時代の知的格闘がまったく描かれないままで物語が唐突に終わってしまうのは、中途半端そのものです。著者にはいっそう奮闘努力していただいて、聖人の半生記ではなく、完全な親鸞伝をめざしてほしいと思います。

しかし問題は小説の出来映えではなく、専修念仏の教えの是非でありましょう。経文解析や荒修業や只管打座をえいやっと切り捨て、ただただ「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで、悪人はもとより善人さえも極楽往生できる、と説いた宗教家の志操の高さと切れ味の鮮やかさ・激烈さは、当時もいまも変わらない凄みをもって私たちに迫ってくるように感じられます。

♪われに問うほんとうに南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生できるのだろうか 茫洋

Thursday, January 21, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第30回

bowyow megalomania theater vol.1

10月13日 晴れたり曇ったり

星の子から帰ったら、お父さんがいました。

お父さんがどうしてこんな時間にいるんだろう?
今日は土曜日でも、日曜日でも、天長節でも、国民の休日でもないのに。もしかして会社を首になったのかしら。

お父さんは、僕の顔を見ると、大きな声で「岳君、お帰り」と言いました。

僕は、星の子から帰って来た時に、「岳君、お帰り」と言われるのが嫌いです。「ただいま!」と大きな声で玄関から声を掛けながら入って来るお父さんが嫌いです。小さな声で「今帰ったよ」と言ってほしいのです。「ただいま!」と怒鳴られると、耳の中で何かが爆発するような気がするのです。

そうだ、昔お父さんが何か僕には理由のわからないことでオッカナイ顔をして、「コラ!」と怒鳴りつけた。その時と同じ声だから、それが恐ろしくてとても嫌いだから、僕は耳を指でふさいで逃げるのです。

僕はムクも嫌いだ。お隣の吉本さんの家のタロウも、反対側のお隣の橋本さん家のラッシーも嫌いです。
犬はワンワン吠えるから嫌いだ。突然、理由もなくワンワン吠える奴は大嫌いだ。みんなあんなおっかないのをどうしてほったらかしにしておくのか、不思議だ。



   ♪昔の自分は死んだらしい 茫洋

Wednesday, January 20, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第29回

bowyow megalomania theater vol.1


10月12日 曇

岳君、閉めなさい。岳君、ジュース飲みなさい。じゃ、伸ばしなさい。崩しなさい。開けときなさい。

と高木先生は僕に言いました。

それから高木先生はおっしゃいました。

岳君、ちゃんと、してなさい。

岳君、食べなさい。

はい! 僕はちゃんとします。ちゃんと食べます。いい子にしてます。

今日、高木先生はキゲンが悪かったです。



♪美貌のヴァイオリニストは腋の下を見られている 茫洋

Tuesday, January 19, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第28回

bowyow megalomania theater vol.1


園長先生は、おっしゃいました。

「20年施設の仕事をやってきましていま思うことは、もう一回障碍児教育の原点に帰ろう、ということです。見る、聞く、触れる、味わう、匂いをかぐ、5感のすべてを動員して人間らしくいきいきと生きる。障碍のある人も、ない人も、その人なりに精いっぱいに生きる。その人のありのままの生命を素直に肯定する。それが障碍児者と私どものかかわりの出発点だと思うのです」

 突然、いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ……というあの歌が、頭のどこかから聞こえてきました。

いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ

手も足もない、ぶよぶよと豚のように太った存在。口から泡を吹いた哀れな動物のような人間が、光を通さない地下室のようなところで、ゴロゴロとなすすべもなく転がっている光景を、僕はどこかで見たような気がしました。

それはノブいっちゃんでした。それにヒトハルちゃんでした。いや、僕の姿でした。
この悲しい光景を悲惨といわずに感動的な光景だと断言できる人がいるのだろうか。

ここにいる立派な園長先生は、僕のような、木偶の坊のような、いも虫のような、ミノ虫のような哀れな存在に生命の輝きを見出し、その輝きに感動できる人なのでしょうか? 僕にはまるで分かりませんでした。

いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ


♪ト短調で生きるなハ長調で生きるんだ 茫洋

Monday, January 18, 2010

五木寛之著「親鸞」上巻を読んで

照る日曇る日第322回

五木寛之といえば希代の物語作家、現代の語り部、小説界の井上陽水としてつとにあなどれない力量をみせつけていますが、今度は来年750回の御遠忌を迎えられた親鸞聖人の生涯の物語です。


登場するのは、物語の主人公忠範(親鸞)をはじめ、河原坊浄寛、ツブテの弥七、法螺房弁才、法然、慈円、後白河法皇、その他名もなき多くの山法師、悪僧、雑民、盗人、神人、放免、雑色、車借、馬借、牛飼童、くぐつ、遊行聖、白拍子、遊女、印地、と聞けば、これが歴史的事実に依拠したドキュメントではなく、著者の想像を大胆にふくらませたフィクションであることは一目瞭然でしょう。

その前半は、彼が京の没落した官人の長男に生まれてから、僧として比叡山の横川に上り、あまたの煩悩と闘いながら京の巷の六角堂に磐踞するくだりまでを巻措くあたわざる波乱万丈のビルダングス&ピカレスクロマンとして描きます。

血沸き肉躍るのは赤かむろの統領六波羅王子と河原坊浄寛、ツブテの弥七、法螺房弁才たちの決戦や少年の背中にできた不気味で醜悪な腫れものを蛸のように口で吸いだす主人公、謎のくぐつ女玉虫や高貴な美女紫野の肉の誘惑とたたかう青年親鸞の煩悶等々、読みどころ満載の宗教人情時代小説ですが、比叡の山顚に発した一条の清水が磐根をいっさんに流れ下り、鴨の流れを顔色なからしめる一大大河小説へと奔騰するのかしないのか?

みだのちかいぞたのもしき
じゅうあくごぎゃくのひとなれど
ひとたびみなをとなうれば
らいごういんじょううたがわず

の美しい連祷がどこからともなく聞こえ、後編への期待はいやがうえにも高まります。


 ♪仏とは誰ぞ仏の教えとは何ぞお山を降りし僧の悩みは深し 茫洋
 

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第27回

bowyow megalomania theater vol.1

10月11日 晴

 久しぶりに快晴になりました。

お母さんと御父さんと一緒に、鎌倉駅から横須賀線に乗って、大船駅で東海道線に乗り換えて藤沢に行って、藤沢で小田急に乗り換えて、各駅停車でS駅に着きました。

「ぶどうの園」の園長先生のところへ会いに行きました。女の園長先生は、おっしゃいました。

「重い障碍者をみると、人は感動します。感動するものは、すべて芸術です。芸術とは文化です。だから、障碍者は文化財です。文化財であり、人間国宝であり、ユネスコとは無関係な世界遺産です。障碍者は、彼ら独自の文化を持っているのではないでしょうか。私はこれから、障碍者のカルチャーを新しく創造していきたいと考えています」

お父さんが、かしこまった顔で言いました。

「その通りです。文化にもいろいろある。先進国の文化だけが文化ではありません。むしろいわゆる遅れた国、経済的には滅びかけた国の文化の方が今となっては尊い。高度に発達したはずのアメリカの文化が破産しそうになった今、彼らの先住民であるインディアンたちの古めかしいけれど調和に満ちて幸福だった文化があこがれをもって振り返られています。僕はケビン・コスナーの「ダンス・ウイズ・ウルブズ」を見てそう思いました。しかし去年ニューヨークのアルゴンキンというホテルに泊まったとき、ボーイにこのアルゴンキンという名前の由来を知っているかと尋ねたらなにも知らないというのであきれ果てました。WASP共は自分たちの先祖が他ならぬ現地でみな殺しにしたアルゴンキン族の名前を平気でホテルの名前にしているようですが、人間として恥ずかしくはないのでしょうか?」

僕は、お父さんは自分でもよく分からない話を、分かった風に得意そうにしているな、と思いました。でも、お母さんはニコニコしながら黙って2人の話を聞いていました。



♪マイアミで1泊しようと言いしはスエーデンのモデルなりしが 茫洋

Sunday, January 17, 2010

鴉鳶

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世間では小沢対検察の全面戦争などと物騒なことを言うておりますが、これではいったい何のための政権交代であったのか、金銭モラルの欠如した2人の頭目を担いだ政党の愚かさ、そして渡辺爺以外誰ひとり言うべきことも言わず牡蠣のごとき沈黙を守る腰抜けフレッシュマン共に愛想を尽かして霊園の丘に登れば雲ひとつない冬晴れの青空の追いつ追われつ3羽の鳥、よく見れば飄然と円弧を描く茶色い鳶を2羽の鴉が執拗に追う姿がのぞまれ、これは面白いどちらが勝つだろう、小沢か検察か、検察か小沢か、どっちが小沢でどっちが検察かと大理石の墓場にどっかり腰をおろして仰ぎみれば、鳶の優雅でさえある悠長な飛翔に比べて黒くて敏捷な鴉どもの攻撃の激烈にして執拗なこと見事というも愚かなる対比をなし、いかにも狡猾な黒組ドウオは前から後ろからあだかも旧型零戦を挟み打つP-38の如く挑みかかりしがやがて1機は戦線離脱、残る1機は倍旧の憎悪と熱情もて仇敵廊下鳶に躍りかかりしがくだんの薄茶鳥くるりくるりと巧みに嘴撃を交わしつつ輪舞乱舞弾舞やがて阿弥陀仏鎮座まします遥かなる西方浄土に消え去り跡に一片の紫雲漂えり。



♪1羽の鳶をどこまでも追いかける2羽の鴉 茫洋

Friday, January 15, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第26回

bowyow megalomania theater vol.1



10月10日 曇

 今日、星の子で山塚さんと塩川さんが、けんかしました。

山塚さんの髪の毛を、塩川さんがひっぱったら、山塚さんが泣きました。
えーん、えーん、えーんと山塚さんは泣きました。

「山塚、ちゃんとやれよ。どうしたの。けんかしないの」
と、僕は言いました。

そしたら、山塚さんは、机の上に置いてあった花びんを塩川さんめがけて投げつけました。

ちくしょう、ちくしょう、こんちくしょう、と言って投げつけました。

黄色やえんじや白の菊の花を、教室の床の上に投げました。水をいっぱい投げました。こっ、こっ、このお、と言って投げつけました。

塩川さんのみけんから、血が流れました。
たらりたらり真っ赤な血潮が流れました。たらーりたらーり、といつまでも流れました。
血は水の上を流れ、菊の白い花と混じって、とても綺麗でした。

泣かないで、泣かないで、塩川さん、と高木先生はおっしゃいました。

こら、こら、山塚。よせ、なんてことするんだ。と長島先生は怒鳴りました。

みんな逃げ出しました。教室から全員逃げ出しました。



♪他愛ないお笑い番組を見る妻が口を開けて笑っているのを見るのが好きだ 茫洋

Thursday, January 14, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第25回

bowyow megalomania theater vol.1


10月9日 曇時々雨

朝、鎌倉駅から横須賀線に乗って大船駅に着きました。

プラットホームはおおぜいの人々でいっぱいでした。

東海道線と横須賀線と京浜東北線のお客さんで、電車も人もいっぱいでした。

どうしたんだろう? どうしちゃんですか? 車掌さん、どうしたんだろう?


今日僕は、JR東日本の車掌さんに手紙を書きました。

「JR東日本車掌様
旧型の山手線は、南武線と、常磐線と、仙台と、秋田で走っています。旧型の横浜線も、南武線と、常磐線と、仙台と、秋田に走っています。

10月9日 岳」


♪ムクよ墓穴から飛び出してアホバカ小沢と鳩山の喉笛を咬め 茫洋

Wednesday, January 13, 2010

モブ・ノリオ著「JOHNNY TOO BAD内田裕也」を読んで

照る日曇る日第321回

前半はモブ・ノリオの小説「ゲットー・ミュージック」、後半は1986年に内田裕也が平凡パンチで連載したインタビュー記事「ロックン・トーク」の採録という奇妙奇天烈な合体本。しかしてその実態は、モブ・ノリオと内田裕也の、孤独で奇妙なロック・コラボレーションです。

もともとは内田裕也を真正ロッカーとして高く評価しているモブ・ノリオのリクエストに文芸春秋社の奇特な編集者が採算を度外視して応えた労作のようですが、なかなか面白い。
特に裕也が中野洋、野村秋介、堤清二、カール・ルイス、野坂昭如、金山克己、中上健次、小林楠扶、武谷三男、赤尾敏、スパイク・リー、田中光四郎、岡本太郎、立花隆、徳田虎雄、佐藤太治、武智鉄二、山田詠美、田川誠一、戸塚宏、アンドレ金、黒田征太郎などと行ったロックンロール対談は、当時の代表的人物が陸続と登場し、中曽根自民党が304議席で圧勝したあの時代の政治、経済、社会、文化状況を彷彿させてくれると同時に、短い対談ながら、それゆえに彼らの人間像をあざやかに浮かび上がらせいるような気がします。

 当時、反体制の旗手であった新左翼やの人々のあまりにも単純明快すぎる主張に不安を覚えたり、身体を張って生きてきた右翼や篤志家の発言に共感を覚えたり、理路整然と現実をさばく評論家の口舌にあきれたり、思想も言説も曖昧模糊とした存在にげんなりしたり、毅然とした政治家の良心に感嘆したり、当の主人公であるロックンローラーの知性と感性の意外なありかが次第に判然として来たり、思いがけない収穫のあるインタビューでしたが、まるで掃き溜めの鶴のように凛としたたたずまいを見せ、裕也を完全に圧倒していたのは紅一点の山田詠美でした。
「ジェシーの背骨」を書いたばかりの頃ですが、まことに魅力的な人物であることがうかがえます。

 肝心の「ゲットー・ミュージック」について触れる紙幅がなくなりましたが、このへんちくりんな音楽小説は、秘密の放送局から垂れ流されるDJのエンドレストークという新スタイルを採用しており、その中で著者は、彼が偏愛する内田裕也やフラワー・トラヴェリング・バンド、シーナ・アンド・ロケッツ、深沢七郎、私の大好きなフランク・ザッパなどのインディペンデント・ミュージック・レコードをかけながら、果てしない饒舌の嵐を巻き起こしていることをお伝えして、本日の拙いレポートを終わります。


♪我想人生是Rock´n Roll也 茫洋

Tuesday, January 12, 2010

哀悼エリック・ロメール

バガテルop118&闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.23

パリではエリック・ロメールが89歳で、ベルリンではオトマール・スイトナーが87歳で死んだ。2人とも私の敬愛する映画監督であり、指揮者であったので、今日はとても悲しい。
夕刊にスイトナーがクレメンス・クラウスの弟子であると書いてあったので、なるほど、それで彼のモーツアルトの変ホ長調のシンフォニーが、あのように確然と響いたのかが、少し分かったような気がした。

スイトナーについては以前彼の最期となったドキュメンタリー番組の感想を書いたことがあるので、ちょっとリック・ロメールのことを書いておこう。

私がロメールを知ったのは、ゴダールやトリュフォーよりずっと後になってからだったが、彼の初期の傑作「獅子座」で一驚し、続いて「O侯爵夫人」、「レネットとミラベル」「6つの教訓シリーズ」の「モード家の一夜」「クレールの膝」「愛の昼下がり」、「喜劇と格言劇シリーズの「海辺のポーリーヌ」「満月の夜」「緑の光線」「友だちの恋人」、「四季の物語シリーズの四本、「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」「グレースと公爵」まで、楽しみながらどの作品も映画を見る事の楽しさを満喫しながらアジアの片隅で眺めてきた。

彼の作品の多くは、パリやその近郊を舞台に、若い女性を主人公にした身近な日常生活や恋を淡々と描くことが多いが、その快適なテンポと、堅苦しい演出を排した即興的な感興の盛り上がりが、今を生きる事のよろこびと映画を見る快楽を、ふたつながらに感じさせてくれて無類の味わいであった。

とりわけ思春期の少女の恋のときめきと生のゆらぎを描いて、このシネアストの右に出る者は、これまで誰ひとりいなかったし、これからもいないだろう。
「満月の夜」の亡くなった主演女優をはじめ「海辺のポーリーヌ」や「緑の光線」に登場した素人女性の横顔を通じて、エリック・ロメールは青春の初々しさと儚さを、あざやかに浮き彫りにした。処女の生き血を吸うて、この酔狂老人は命長らえたのであった。


さうして、歳を取れば取るほど若返っていくような、天馬空を往く何者にもとらわれない融通無碍なその作風こそ、彼の芸術の真髄であり、それが彼を、終生ヌーベルバーグの最先端に立たせ続けたのだ。
J.L.ゴダール、ジャク・リベットなお存するといえども、私たちはあえてこう宣言することができるだろう。今日、ヌーベルバーグが死んだ。と。


♪処女の生き血吸う酔狂老人死してヌーベルバーグ死せり 茫洋

Monday, January 11, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第24回

bowyow megalomania theater vol.1


「岳君、今日、英語行くんだよ。分かった?」 
と高木先生はおっしゃいました。

高木先生、いい匂い。お母さんの枕とおんなじ。いい匂い。髪の毛が長くて、とてもサラサラしていて、きれいに輝いて、さわるととっても気持ちがいい。

だから僕、お母さん好き。高木先生、好き。田中美奈子も、好き。髪の毛が長くて、とてもサラサラしていて、きれいにお日様に輝いて、さわるときっと気持ちが良いだろう。
だから、お母さん、好き。田中美奈子、好き。高木先生とおんなじくらい、好き。なんだ。

今日、高木先生が、C組の前の廊下を通りながら言いました。
「今日、岳君、英語行くんだよ。分かった?」

僕、英語分かりません。アイ・キャン・ノット・スピーク・イングリッシュ。
でも僕、英語やるよ。

はい、高木先生。僕、いっしょうけんめい、がんばります!



伊勢丹の武藤氏斃れたり齢六十三瞼に浮かぶよ颯爽たる展示会の姿 茫洋

Sunday, January 10, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第23回

bowyow megalomania theater vol.1


10月8日 雨

また雨だ。どうしてこんなに雨が降るんだろう。

空気中の水分が多いから、と、高木先生は言いました。

「スペインの平原には、大気中の水分が多いので、それでよく雨が降るのよ」
と、高木先生は歌いながら言いました。

そう高木先生がおっしゃったのは、去年の7月8日の午後3時ごろだったと覚えています。
高木先生は、うすく塗った口紅を光らせながら、確かにそう言ったのさ。

僕は、よおーく覚えているでしょ。ね、高木先生。



♪あんたのことが大好きよと囁くたびにどこかで花が咲いている 茫洋

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第22回

bowyow megalomania theater vol.1


10月7日 雨

10月だというのに、毎日雨が降ります。ユーウツだ。字を書くと、いっそうユーウツだ。タイクツだ。

では本当にタイクツなのかしら、と自分で自分にたずねてみましたが、じつはそんなにタイクツでもなさそうなことに気が付きましたので、タイクツは撤回します。
テッカイ、てっかい、白紙撤回だ。ユーウツでテッカイだ。雄打敵貝だあ。

そこで、僕はテレビをつけました。つけた途端に、画面の真ん中に白い光が輝いて、プッツンと言った。プッツンだ。灰のような明るい灰色になって、それからゆっくり暗くなってゆきました。

テレビが死んだんです。テレビが死んだ。
ダンスがすんだ。タンスは飛んだ。テレビは死んだ。
ダンスはすんだ。タンスは飛んだ。そして僕も死んだ。
んだ、んだ、んだべ。

今日は、もう、やだ。

何もしたくない。僕、星の子学園へ行って、星の子から帰ってきたけど、僕はもう何もしたくありません。

僕はいま、ワープロの前に座って、ポツ、ポツ、ポツと雨だれのように、ポツ、ポツ、ポツと、これを、これこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれを打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っているんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………


墨痕淋漓「解脱」てふ賀状到来す 茫洋

Friday, January 08, 2010

梟が鳴く森で 第21回

bowyow megalomania theater vol.1

9月30日 晴

僕は、お父さんもお母さんも純ちゃんも好きです。
おんなじくらい大好きです。

10月1日 
バス停でバスを降りようとしたら、どこかの知らないおじさんに、
「馬鹿野郎、てめえ、順番に降りるんだ」
と怒鳴られて、いきなり殴られました。
いたいおう。

10月2日 雨

10月3日 雨

10月4日 お休み

10月5日 雨

10月6日 雨


てめえなんか死んじまえと叫ぶたびにどこかで鳥が死んでいる 茫洋

Thursday, January 07, 2010

池澤夏樹著「カデナ」を読んで

照る日曇る日第320回

1968年の熱い夏に、嘉手納基地のある沖縄で、沖縄人とアメリカ人の4人の男女が、いわゆる「反戦平和」の運動に加担する話です。

反戦運動というのは、具体的には、嘉手納から爆弾を積んでベトナムに向かうB-52の北爆計画を事前にアマチュア無線で教えたり、基地の米兵をそそのかして脱走させ、ソ連経由でスエーデンまで脱走させることですが、こういう政治的活動を、当時若かった、あるいは若すぎた私たちは、前後のみさかいもなく、後顧の憂いもなく、ごく自然にやってのけていたわけですが、(作者にそういう気持ちがなくとも)では、そういう私たちは、いまどこでどうしているのか、と問いかけてくるような気もする小説です。

しかしその筆致はきわめて抑制されたものなので、ある種の聖なる理想と社会改革のために自己の運命を蕩尽しようとする荒荒しい破壊と自己投棄の暴力的な情熱を再現することには完全に失敗しています。もしそれが作者の狙いであるとしたら、ですが。

たとえ1年の365日が曇天であったとしても、ただ1日だけは空が黄金いろに輝いた日が、たしかにあったような気がします。そしてその日、私はまさしく午前10時の太陽であり、若いこと、貧乏であること、無名であることに限りない誇りを持って生きていたと、誰に誇ることもなく静かにつぶやくこともできるのですが、あれらの心躍る冒険を、もう一度、前後のみさかいもなく、後顧の憂いもなく、ごく自然にやってのけることの「不可能」を、なにゆえか、何者によってか、思い知らされているような気がする自分がはがゆく、いささかやるせないのです。

沖縄よ独立せよすべての基地すべてのアメリカー、すべてのヤマトンチューを投げ捨てて 茫洋

Wednesday, January 06, 2010

梟が鳴く森で 第20回

bowyow megalomania theater vol.1


9月29日 晴

お父さんとお母さんと純ちゃんと僕の4人で大船のスエヒロファイブへ行きました。自動車に乗って行きました。トヨタ・カローラに乗って行きました。

トヨタ・カローラはお母さんが運転しました。なぜなら、お父さんはトヨタ・カローラを運転できないからです。

どうして運転できないのと純ちゃんがお父さんに聞きました。するとお父さんは、
「中学生の時にホンダ・スポーツカブにはじめて乗って坂道を降りたらだんだんスピードが出てきたので、ブレーキをかけたらそれがアクセルで、とうとう丹陽教会の玄関にぶつかってしまった。それいらい動くものは運転しないことに決めたんだ」
と答えたので、純ちゃんは「へええ」と言いました。

お母さんはなにも言いませんでした。

僕はスエヒロファイブで、ハンバーグを食べました。それからクリームソーダのサクランボウを食べました。それからクリームソーダを飲みました。とってもおいしかったです。

横須賀線の踏切は、カン、カン、カンと鳴ります。イ短調です。


♪悲しいおイ短調で鳴る横須賀線の踏切 茫洋

Tuesday, January 05, 2010

梟が鳴く森で 第19回

bowyow megalomania theater vol.1


9月28日 晴のち曇

今日はお母さんと一緒に横須賀線に乗って横須賀へ行きました。聖ヨセフ病院で虫歯を治すのです。

「痛くないからね。すぐ終わるからね」
と、先生はおっしゃいました。
僕は、じっとしんぼうしました。あんまり痛くはありませんでした。

帰りに目耕堂で、マリオの本を買いました。マリオとピーチ姫とキノピオとクッパと御兄ちゃんキノコと御姉ちゃんキノコと弟キノコと国王が出てきます。


♪ウジ虫のような存在でも生きている意味があるはず 茫洋

Monday, January 04, 2010

梟が鳴く森で 第18回

bowyow megalomania theater vol.1

9月27日 雨

昔、昔のこと。
僕が戸塚の子ども病院へ連れて行かれた時のことを思い出しました。

お父さんが、怒り狂っていました。

「俺の仕事が頭を使うから、子どもが自閉症になったんだと! どういうことだ。そもそも頭を使わないで済む仕事なんて世の中にあるのか! イ、イ、インテリゲンチャンの子どもがみな自閉症になるなら、(注1)どうしてお前の子どもも自閉症にならないんだ。え、どうなんだ!」

お母さんは、泣いていました。

「私の育て方が過保護で、そのせいでこの子が自閉症になっただなんて、とんでもないことです。(注2) 私は天地神明に誓って、そんないい加減な子育てをした覚えはありません。お医者さんが、そんな無責任なことを言っていいんですか?」

東大医学部精神科からここへ派遣されている30代のエリート医師は、口から猛烈に唾を撒き散らして怒り狂うお父さんと、泣きじゃくりながら必死に抗議するお母さんに困ってしまって、50代のいかにも偉そうな顔をした先輩医師の方を見やりました。

「まあ自閉症もいろいろありますが、結局は情緒障害(注3)ですから、まずお父さんお母さんの生き方から改めてもらわないとね」
その人を人とも思わぬ言葉に、お父さんは、またしても怒り狂い、お母さんは、また泣きました。泣きながら必死で抗議しました。

大好きなお母さんをこんな目にあわせた奴を、僕はぜったいに許さないぞ。ぜったいに……。くそっ、あんな奴ら、殺してやる。殺してやる……(注4)



注1 今から30年前には、「知的な能力を持つ親から知的障碍児が生まれる」という謬見があった。
注2 親の過保護から自閉症児が生まれるという誤解を当時の東大医学部精神科のアホバカ学者どもがうのみにしていた。
注3 東大医学部のみならず当時の専門家の大半が、自閉症を「脳の中枢神経系の先天的な機能障碍」であると正しく理解せず、「後天的な情緒の障碍」と考えていた。
注4 自閉症児は健常児と違って他者に殺意を懐くことは、ない。したがってこのセリフは物語を面白くするためのフィクションに過ぎない。なお当時の「戸塚子ども病院」は、神奈川県のみならず全国で有数の自閉症専門の病院であったことを思うと、この小説の作者と同じような兇暴な思いに駆られた自閉症児者の親は、多数存在するのではないだろうか。私はあれから30年以上の歳月が経過した現在もなお、この2名とどこかの街道筋で鉢合わせした場合、物理的な実力を行使せずに通り過ぎる自信は、ない。


♪お正月の過ぎてゆくのが早いこと 茫洋

Sunday, January 03, 2010

梟が鳴く森で 第17回

bowyow megalomania theater vol.1


9月26日

あの時、桜が満開でした。
何百本という桜が満開でした。風が少しでも吹いてくると、吹雪のように花びらが僕の周りにはらはらと降りかかりました。

公園の土の上は、もう淡いピンクでいっぱいでした。
あれは確か僕が1歳半の春、横浜の弘明寺の公園の昼下がりのことでした。
僕はまだ歩けなくて、のそのそと公園の砂場の辺りをはいずり回っていました。はい回っていましたら、お父さんがいきなり憎々しい声で言ったのです。
「こらっ、立って歩け。立てねえのか、こら、このイモムシ野郎!」

僕は、イモムシではありません。歩けないから、こうやってイモムシのようにはいずり回っているのです。
突然どこかから歌が聞こえてきました。
――イモムシ、ゴーロゴロ、俵はドッコイショ、イモムシ、ゴーロゴロ、俵はドッコイショ……

 お父さん、僕はイモムシではありません。


♪お母さん誕生日おめでとうと言うて次男横浜に去る 茫洋

梟が鳴く森で 第16回

bowyow megalomania theater vol.1

僕はS先生のおっしゃることはあんまりよく分かりませんでした。でも、僕が「自閉症」という名前の障碍者であるということはなんとか分かりました。

自閉症は、1943年にアメリカのカナーという学者によってはじめて報告された障碍で、新生児100人におよそ1人の割合で発症すると推定されているそうですが、そういえばいつかお父さんが僕のことを、「宝くじに当たったようなもんだ」と言っていました。

でもお母さんの話では、国連の統計では世界中のあらゆるタイプの障碍者は世界総人口の1割以上、つまり約4億5千万人いるそうなので、「そうか、全世界の1割以上が僕の仲間なのか」と僕は思いました。

僕はお父さんが命名したように、今月から「カナー氏症候群患者」です。「自閉症」よりこっちのネーミングの方がだんぜんかっこいいです。



♪地デジチューナーなんて役立たずだとお払い箱にする 茫洋

Friday, January 01, 2010

「現代語訳吾妻鏡7 頼家と実朝」を読んで

照る日曇る日第320回


本巻では、私のあまり好きでもない頼朝の息子頼家とその支柱である比企能員、私の大好きな畠山重忠および私のまあ好きな和田義盛が、北条氏の毒牙にかかって一族もろとも抹殺されます。

そもそも2代目の馬鹿殿頼家が、梶原景時一族を擁護できなかった時点でこうなる他はなかったのかもしれません。まあそれが歴史の必然と言ってしまえばそうなのでしょうが、時政といい義時といい、その悪辣非道さは目に余ります。

比企能員の場合は確かにでしゃばりすぎではありましたが、身に寸鉄を帯びない御家人を自邸に呼び込んでいきなり殺してしまう伊豆のタヌキおやじを誰も制することができなかった。これが昭和史に例えれば満州事変の勃発です。

では次の中華事変はと問えば、重忠と義盛の暗殺。単純馬鹿とは言わないまでも、主君頼朝の無二の忠臣であった豪傑型のこの古武士が、老獪な北条氏のよく言えば知謀、悪く言えば陰謀にいとも簡単に引っかかって、みすみす地獄の8丁目に転落してゆく哀れな姿は無残と言うも愚かです。そうして最後に訪れる悲劇は、古豪にして最強の御家人三浦氏と3代将軍実朝の相次ぐ圧殺です。

この不可避に見える道行は、源氏政権の平和的一元支配存続の道を完全に閉ざし、時ならぬ大東亜戦争の開始によって、東条ならぬ北条政権が鉄壁の軍事独裁体制として確立されるのですが、もしも北条一族に対する三浦・畠山・和田一族の連合戦線または部分的共闘体制がいずれかの局面で成立していたら、北条家は彼らの軍事クーデターによってたった一夜でもろくも粉砕されていたでありましょう。

しかしもしも歴史がそうした選択肢を許していたならば、あの疾風怒濤の蒙古襲来を、この民主・社民・国民新党の連合政権がうまく押し返したか否か、あるいはまたくだんの神風がこの場合にも吹いたか否かは、それこそ神のみぞ知るところとなり、モンゴル帝国治下の日本および日本人がいかなるコスモポリタンとして擬鎌倉・室町・戦国時代を生き延びたかは、遠く人知の及ばぬ悠遠の範疇に属するのでしょう。


♪クビライの奴婢となりたるわが国の行く末憂う今年の初夢 茫洋