♪バガテルop41&照る日曇る日第96回
宣伝会議という出版社から最近発売された「コピーがひもとく日本の50年」という2095円もする分厚い本を頂いた。私はかつてコピーライターという仕事をしていたことがあり、宣伝会議社が主催するコピーライター講座の講師を数年間やっていたこともあるので昔を思い出して懐かしかった。
当時銀座の松屋の裏にその教室があり、毎週1回のその夕方からの授業が終わると、私は生徒全員を引き連れて安酒場に行って飲みかつ喰らい愉快に談笑するのが常だった。その当時の私はまだ少しなら酒を口にすることができ、後年のようにたったビール一口で急性アルコール中毒で昏倒するような無様なことはなかった。私のクラスから巣立った何人かはその後映画や音楽産業の優れた担い手となり、私は彼らのその後の活躍をわがことのようにうれしく思っている。
さてその分厚い本を繰ってみると、わが国のコピーとコピーライターの歴史をつくった梶裕輔や土屋耕一、秋山晶、仲畑貴志、真木準といった俊才たちの過去半世紀の名作コピー365本が、ご本人たちのコメントとともに紹介されており、なかなか興味深いものがあった。
向秀雄氏の「ミュンヘン、サッポロ、ミルウオーキー」、山口瞳氏の「トリスを飲んでHaWaiiへ行こう」、「なぜ年齢をきくの」とか「こんにちは土曜日くん」「君のひとみは10000ボルト」など伊勢丹の企業広告のコピーを作った土屋耕一氏の作品は時代の記憶の一部となったし、「おしりだって洗ってほしい」(TOTO)、「好きだから、あげる」(丸井)を作った仲畑貴志氏、「ピイカピカの1年生」の杉山恒太郎氏、「でかいどお、北海道」の真木準氏などの作品を眼にすると、私と同時代の制作者である彼らの当時の面影があざやかに甦ってくる。
しかしかつては広告文案作成屋と呼ばれたコピーライティングの流れを大きく変えたのは、1974年のたしか糸井重里氏作の「ケネディは好きだったけれど、ジャクリーヌは嫌いだ」、そして77年に高校野球をテーマにした秋山晶氏の「ただ一度のものが、僕は好きだ」というキャノン販売の広告ではなかっただろうか。
これらの作品ではいずれも主語がクライアントではなく、驚いたことにはコピーライター本人であり、訴求テーマが商品そのものから大きく逸脱してモノからコトへ、商品世界から仮想文学的世界へと大きく飛躍し、幻想の虚空で浮遊している。
♪生きておっても死んでおっても空の空なり 亡羊
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