Monday, February 04, 2008

萩原延壽著「馬場辰猪」を読む

照る日曇る日第93回&勝手に建築観光28回

馬場辰猪は「明治の東京」の著者で西脇順三郎によって“日本のアナトール・フランス”と称された明治時代の文人馬場孤蝶の兄で、嘉永3年1850年土佐中島に生まれ、明治21年1888年米国フィラデルフィアで結核のため客死した。

辰猪(「たつい」と呼ぶ)は、17歳の時に上京し福沢諭吉の慶応義塾に入って英語を学び、明治3年英国に留学しロンドンでローマ法、財産法を学んで明治7年帰国したが、翌年再び英国に留学し、明治11年の帰国まで英国法、議会の討論と西欧民主主義のあり方について親しく見聞し、「日本語文典」、「日本における英国人」「日英条約論」などの論文・著作を英文で執筆・出版した。

帰国してからは自由民権運動の最前線に立ち、次第に身体を病魔に蝕まれながら明治専制藩閥政権の抑圧と思想的、実践的に戦い、板垣とともに結党した自由党が、党首板垣自身の腐敗堕落と戦線逃亡によって空中分解してからもなお孤軍奮闘したが、民権闘争の全面敗北の急流が押し寄せる中、米国への亡命を決意するも心身の疲労困憊がきわまる中、「あまりにも性急な歩行者」と萩原に評された享年39歳の短い生涯を閉じたのであった。

明治維新の成就いらい西欧流の自由と民権主義の移植は福沢諭吉や中江兆民はじめ数多くの留学経験者、インテリ帰朝者によって精力的に行なわれたが、伊藤博文、井上毅などが大隈重信を閣外に追放した「明治14年の政変」以来自由派への逆風がつのり結局辰猪は破滅してしまうのだが、その抵抗精神と自由主義の旗は不滅のものであり、福沢と中江の弔辞を読んで悌涙せぬ人は著者と私の友ではない。

辰猪の生涯とその戦いの詳細は本書で詳しくたどっていただくことにして、辰猪の自由思想で注目すべきは、彼の結婚観であろう。(彼自身は父親の放蕩を呪詛して生涯独身を貫いた)。彼は夫婦は愛によってのみ結ばれるべきものと考え、結婚は期限を定めた契約を前提にせよと説いている。いずれかの愛が醒めればただちに契約を破棄せよというのだがなかなかに合理的ではないか。

過日私はかつて銀座でもっとも愛していた場所を訪れた。そこには今は無残なモダン廃墟と化したわが国ではじめての社交クラブ交詢社がつい数年前まで誇らかに聳え立ち、敬愛する福沢諭吉、馬場辰猪をはじめあの西周、栗本鋤雲、菊池大麓、小野梓、岩崎小二郎、後藤象二郎、大隈重信、由利公正、小泉新吉(信三の父)、犬養毅などの倶楽部員が自由奔放に討論を交わした昔日の面影をかすかに伝えていたのである。

ギョウザより大事な問題があると思いつつ中国製の餃子を喰らう 亡羊

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