Saturday, February 09, 2008

小島信夫の「月光」を読む

小島信夫の「月光」を読む

照る日曇る日第95回

依然としてさっぱり仕事が来ない私は、またしても小島信夫の小説を読んで、みずから無聊を慰めることしかできない。

私が思うに、この人はまあ「書く自動機械」に似たようなものであるなあ。小島信夫のなかにもう一人の小島信夫、あるいはコジマ式ロボットが棲息しておって、これが日常茶飯事、森羅万象をすべて書きまくるのじゃ。人の迷惑もプライバシーもなぎ倒してじゃんじゃん書きなぐるのである。

それは書きたいことを書きたいからではなく、普通の人間なら非常に書きづらいこと、あるいは絶対に書いてはいけないこと、を、彼はどうでも書かなければならない、と天によって強くうながされ、みずからもそうしようと決意しているからなのだ。自分がその先に進み、生きるために破らなければならないベールを、彼はどんどん破りながら全身全力で前進するのである。

そしてそのように行動することの総体が、小島信夫の生であり文学なのだ。
書かずにいられないその軌跡を、人は宇宙の果てまで限りなく越境する私小説というが、当のご本人は「私はいまは夢見るように書き綴っていので、相前後し、合体することを許してもらいたい」と澄ましている。

さて本書は1982年4月から翌年8月にかけて「群像」に連載された表題作はじめ「青衣」「蜻蛉」「合掌」「「高砂」「「再生」の6つの短編小説であるが、例によって例のごとくあっちに寄ってはこちらに引っかかりながら、まるで二人羽織のように脳内対話がとめどなく繰り広げられていく。

最後に並べられた「再生」では、甦りの再生ではなく噺家の安藤芳流という人の談話テープを作者が文字起こししてそのユニークな語りを再現するのに驚かされる。

安藤は漱石の弟子の森田草平の思い出を語り、続いて福本日南が書いた「元禄快挙録」を引き合いに出して、大石内蔵助の切腹があまり潔いものではなかったという話をする。彼の切腹を陰からこっそり見ていた細川越中守がそう証言しているというのである。

定めし立派な腹切りであろうと固唾を呑んで期待していたら意外にも「あまり締まりがなかった」。いったいどうしてだろうといぶかしみながら越中守が内蔵助が使っていた手文庫の中を改めてみたら、「見事なる切腹は一人にかぎり候」という書置きが出てきたそうだ。

この秘話を安藤が恩師の森田に語ってきかせたところ、草平は「おいちょっと待て。そこのところは『見事なる切腹は、殿ご一人にかぎり候 内蔵助』とやれ」と安藤に知恵を授けたという。

なるほど、これだと内蔵助が主君の見事な切腹を際立たせるためにあえて無様な切腹を選び取ったということが一遍で分かる。さすが漱石の永遠の弟子の森田草平だけのことはある、ということを言いたいがために、小島信夫はこの40分間の口演テープを汗だくで再現してみせるのである。


♪如月も十日を過ぎて仕事なし 亡羊

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