鎌倉ちょっと不思議な物語37回
図書館の本が流れるので、自転車で取りに行った。
図書館の向かいの御成小学校は前にも紹介したように旧明治天皇の夏季別荘として利用されたが、後に葉山の別荘にとって替わられた。そのもっと昔は中世の国衙(行政センター)があった場所で、そのもっと昔は幕府の門注所があった。
御成りから小町の通りに向かって自転車を走らせると、左側に三味線屋さんが、右側に四季書林という古本屋がある。前者は大好きだが、後者は大嫌い。というのは、この本屋は国文学関連の品揃えでは定評があり、1冊1冊をパラフィン紙で包装するなど書物に対する愛情はあるのだが、店主が偏屈でいまどき珍しい「反お客様第1主義」なのである。
いつか私がぶらりと店に入ってあれこれ物色していると、店主が「何かお探しですか?」と尋ねたので、私が「いいえ、なんとなく見ているのです」と答えると、彼奴は「そういう人は出て行ってください」とにべもないご挨拶。実に不愉快きわまりない申しようだ。
私は思わずこいつを殴りつけようと思ったが、まあよそう、こんな客を大事にしない生意気な古本屋なぞすぐに倒産するだろうと思って、「ああ、そうかよ。おめえの店ではもお絶対に買わないからな」と捨て台詞を残して、早々に退去したのであった。
私はかつてこの店で角川文庫の「信長公記」を買ったこともあったのだが、そのときはこの男は不在で、彼の細君が番台にいたのでこんな嫌な気分に陥ることはなかったのであるが、その後考えれば考えるほど腹が立ってきてあれから一度も訪れたことはない。
思うに、この男は鎌倉文士や専門の研究者などにお得意がいるので、私風情の一般大衆なぞに自分が苦労して神保町で仕入れてきた貴重本を売りたくないのかもしれないが、それにしてもいまどき珍しい店である。
アホバカ古本屋にぺっぺと唾を吐いて角を右に曲がって少し行くと、なんと現役の刀鍛冶屋さんの刀剣店がある。それも第24代目の正宗様であるぞよ。
店の後が工房になっていて、私が通ったときもトテカン、トテカンと刀鍛冶が行われていた。もちろん鍛冶装束に身を固めたりりしいいでたちである。鎌倉ちょっと不思議な物語30回で、鎌倉時代のたたら製鉄の現場をご紹介したが、なんと800年後の同じ鎌倉市内のど真ん中でも同じ地場産業が孜々と続けられていたのであった。
正宗の鍛冶屋に別れを告げて須賀線の線路を越えると、驚いたことに、物語32回で紹介したおばけ屋敷が跡形もなく消えうせていた!
桑田変じて海となる、ではないが、木造建築と人間の若さほど速やかに消滅するものはない。かくて私の数枚のスナップ写真はたちまち往時を偲ぶ貴重なドキュメントとなってしまったのであった。
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