Thursday, January 11, 2007

歌うよろこび

音楽千夜一夜 第6回

音楽の本質とは、内部生命が歌うことではないでしょうか?

音楽とは、私の心がなぜか生きる喜びに満たされ、その喜びと幸せが原動力となって無意識に歌いたいという衝動が生まれ、自分でもそれと気づかないうちに「歌のようなもの」が胸から流れてのどまでのぼり、くちびるから外界に向かって自然に放たれるさま、を指すような気がします。

 つまり、「鼻歌をフンフンする」ことこそが「音楽すること」「音楽を生きること」の原点ではないでしょうか?
 
台所でお料理を作っている家内が歌っている下手な歌、あるいは歌のようなものを聴く時ほど私にとって幸福な瞬間はありませんが、恐らく当の本人もきっと小さな幸せの絶頂にいるのでしょう。
 
幸福な人がその幸福を歌うときに感じる幸福。これこそが現初期の音楽の誕生と交流の原点なのでしょう。

しかし翻って現在の演奏家と聴衆の関係を考えるとき、このうるわしい交流がどこまで実現されているのかはなはだ疑わしいものがあります。

例えばクラシックの世界ではN響がプロの頂点であるといわれているようですが、彼らの演奏を聴いても、今も昔も本当に彼らが音楽をする喜びを共有しているのかよく分かりません。なんだか誰かに命令されていやいや楽器を職業的に操作しているような気もします。
だからというわけでもありませんが、大学やアマチュアの人たちの演奏は技術的には下手かもしれませんが、音楽することの楽しさにみちあふれていて、そのエネルギーがまっすぐに聴衆に伝わる。それはとプロ野球がとっくの昔に喪失したスポーツのよろこびが高校野球や小中学生の草野球にはまだ辛うじて残っているのと似ています。

考えてみれば、心が音楽するよろこびにあふれる瞬間なんて数えるくらいしかないのに、それでも毎日毎晩楽しげに演奏するほうが無理がある。歌いたくないカナリアにコンサートを強制するようなものですからね。 

はじめは好きで好きで仕方なかった音楽だけど、それを職業として選び取った途端に、その快楽が苦痛や苦行に似たものに転化する。そういうことかもしれません。

それは音楽だけでなくファッションやデザインや広告やその他ありとあらゆる産業の領域に共通する皮肉かもしれませんが。

まあそんな話はともかく、私は毎日鼻歌を歌いながら生き、鼻歌を歌いながら死にたいなあと夢見ている次第です。

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