鎌倉ちょっと不思議な物語33回&音楽千夜一夜 第7回
例のオオウナギ棲息地の近所に鎮座ましますのは、室町時代中期の仏様である。
この御仏は、それまでは人知れず小さなやぐらの奥で眠っていたのだが、ある日突然Oさんという老ピアニストが突然周囲を開拓し、参道を切り開いてお花を捧げるようになった。
なんでも亡くなった奥様を回向するために、個人的にこの古仏をよみがえらせたそうだが、最近は通りすがりの酔狂なハイカーが賽銭を供えたりしている。
Oさんの専門はジャズだが、クラシックも得意で、私が太刀洗に散歩に行くとリビングルームからショパンや私の好きなリストの超絶技巧練習曲が聴こえてくる。まるでその演奏はラザール・ベルマンかシフラみたいだ。
去年の鎌響の演奏会では宮沢明子がモーツアルトの24番のコンチエルトを弾いたのだが、どういうわけだか第2楽章の途中であの名手の腕が突然乱れて冥界に明快に迷走し、しばらくは元の楽譜に戻れなくなってしまった。(ような気がした。私はオタマジャクシが読めないので正確なことはわかりません)
ピアニストと指揮者は相当うろたえていたようで、私もさあどうなるのかと息を呑んだが、ここで鮮やかな火消し役を務めたのは、頭の禿げたコンサートマスター。いきなり立ち上がって弓を高く掲げて一閃したために混乱は収まり、めでたく事なきを得た。
会場に居合わせたOさんと私は、この珍しいハプニングをことのほかよろこんだ。
だってせっかくのライブで戦前の国定教科書のような演奏を聴かされたってつまらない。
これくらいの逸脱と椿事が起こるから聴衆はくそ面白くもない人生にいささかの興奮を覚えるのである。もとい、生きるよろこびを再確認するのである。
面白きこともなき世におもしろく、すみなすものは心なりけり(高杉晋作+野村望(もとに)東尼)
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