インフィル不在の音楽論
♪音楽千夜一夜第9回
稀代の悪文で定評のあった塩野七生氏の「ローマ人の物語」がようやく15巻で完結し、もうこの人の醜い日本語を読む必要がなくなったといささかほっとしているところだ。
ところで全巻をつうじてローマ時代の芸術について触れることの少なかった著者だが、最終巻の104pで珍しく音楽について語っている。
塩野氏によれば、現在のドイツの西部と南部は古代ではローマ帝国に属していたので、ザルツブルグに生まれたモーツアルトも、ボン生まれのベートーヴェンもゲルマン対ローマの図式ではローマ側に入る。
しかしワグナーの生地であるライプチッヒは中世になってから生まれた町で、ローマが征服を断念したゲルマニアの奥深くに位置しているという。
また「ニーベリングの指輪」の登場人物たちはローマ帝国末期に北部から進入を繰り返していたブルグンド族であり、ワグナーの音楽がモーツアルトやベートーヴェンよりもゲルマン的に感じられるのはこの歴史的位置によるのではないか、というのである。
ちなみにバッハ一族はドイツ中部のチューリンゲンだからやはりモーツアルトやベートーヴェンの仲間であり、ワグナー音楽とは一線を画していることになる。
しかしこの伝でいくと英国のエルガーやデーリアスやブリテンは蛮族アングロサクソンの遺風を伝え、セザール・フランクやラベルやドビュッシーは同じ蛮族のフランク族的音楽を作ったことになる。
このように音楽を音楽家の生誕地によって差別化してその特色を論ずることはきわめてずさんな暴論であり、ローマ文化を主に政治、経済、戦争、社会のインフラなどの唯物的スケルトンから再構築する塩野氏ならではの手法ではあろうが、このようなアプローチは芸術と歴史文化の誤まった理解につながるばかりか個々の音楽家の芸術を鑑賞するうえで大きな妨げになる。
インフィル不在のローマ論を確立してローマ文化の何たるかを理解したつもりになったように、恐らく塩野氏は古今東西の音楽家のスケルトンだけを聴いて音楽を分かったつもりになっているのだろう。
♪反歌3首
新宿は他人ばかりの街である
鳶1羽我に愛する力あり
類型を逸脱するは難くして♪桜桜とシャウトする歌手
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