私の実家は丹波の田舎だ。そこでは長らく下駄屋をやっていた。
02年に三代目の母が亡くなったあとたたまれた店は、いまも「てらこ」という屋号で町の目抜き通りに残ってはいるが、もはや訪れる客も店の新しい主人もいない。
外見も中身もそんな古式蒼然とした商店であるが、世間の人がまだ和服を愛好していた遠い昔の時代には、大勢の客が「てらこ」の下駄や草履をあらそって買い求めた夢まぼろしのような日々もたしかにあったのである。
年に1度の「えびす祭り」の大売出しの日の賑わいは今も私の眼の奥に残っており、3人きょうだいの幼い私たちが、「いらっしゃい、いらっしゃい」と声をからして店頭を行く通行人の呼び込みをした日のこともかすかに覚えている。
「てらこ」の下駄は品質が上等で、とりわけ父がすげる鼻緒はいつまでも緩まず両足にフィットして履き心地がよい、というので定評があった。母はそんな父をしっかりと支えるようにして一緒にお店で働き、いつも二人で他愛ない世間話に興じていた。
そんなある日のことだった。たまたま父と私が店にいると腰の曲がった80歳くらいのよぼよぼのおじいさんが、見るからにくたびれた格好でやって来た。そうして文字どおり弊履のごとく古く汚れた下駄をニスが塗られた部厚い木製のカウンターの上にどさりと乗せると、こういった。
「やあてらこはん、どうもこんちは。おたくの下駄はほんま長いことよおもったわ。わいらあなあ、もう何年も何年も履いたんやが、とうとうこんな姿になりおった。ほいでな、今日はこの古いのを新しい奴に取り替えてもらおうおもて、はるばるバスに乗って町までやって来ましたのや」
はじめのうちは私たちは彼が何を言わんとしているのか分からなかった。しかししばらくしてから、彼が大昔にてらこで買った下駄が古びたら、てらこでは無償で新品に取り替えてくれるはずだ、と確信していることを知ってさすがに驚いた。
父は、「この下駄はもう古くて修理できないし、あなたが希望するようにただで新品と交換することもできない」、と汗だくになって言い聞かせるのだが、くだんの老人はいつまで経ってもそのまっとうな商人の言い分を理解したり、納得しようとはせず、まるでサントリーのボスのテレビCMに出てくる宇宙人ジョーンズ氏を眺めるような目つきで、いぶかしそうに父を見るのだった。
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