改めてアルチュール・ランボー(1854-1-91)の言葉に耳を傾けよう。
安政元年に生まれ明治24年、大津事件が起こり、幸田露伴が「五重塔」を書いた年にマルセイユの病院で右足関節腫瘍で37歳で死んだ詩人のマニュフェストだ。
見者であらねばならない、自らを見者たらしめねばならない、と僕は言うのです。詩人はあらゆる感覚の、長期にわたる、大掛かりな、そして理にかなった壊乱を通じて「見者」になるのです。あらゆる形態の愛や、苦悩や、狂気。彼は自分自身を探求し、自らのうちにすべての毒を汲み尽して、その精髄のみを保持します。
それは全き信念を超人的な力のすべてを必要とするほどの言い表しようのない責苦であって、そこで彼はとりわけ偉大な病者、偉大な罪びと、偉大な呪われびととなり、そして至上の学者になるのです。
なぜなら彼は未知なるものに至るからです。というのも彼はもう既に豊かだったその魂を、他の誰にも勝って涵養したのですから。彼は未知なるものに達し、そして彼が狂乱してついに自分の様々なヴィジョンについての知的理解を失ってしまうとき、彼はそれらの視像をたしかに見たのです。
前代未聞の名づけようもない事象を通じた彼のそんな跳躍のただなかで、もし彼の身が破裂してしまうなら、それはそれでよいのです。他の恐るべき労働者たちが後に続いてやって来ることでしょう。彼らは他の者が倒れた地平線から開始するでしょう!
それゆえ詩人とは真に火を盗む者なのです。詩人は人類を担っており、動物たちさえも担っているのです。
彼は自分が案出したものを感じさせ、触れてみせ、耳に聞こえさせねばならないでしょう。もし彼が彼方から持ち帰るものに形態があれば、彼は形態を与えます。もしそれが無形態であれば、無形態を与えるのです。
ひとつの言語を見出すことです。どんな言葉も観念なのですから、ある一つの普遍的な言語活動の時代が来ることでしょう。このような言語は魂から魂へと向かうものでしょうし、一切を、もろもろの匂いも音も、色彩も、すべて要約しており、思考をつかみ、引き寄せるのです。
詩人はその時代に万人の魂のうちで目覚めつつある未知なるものの量を明らかにすることでしょう。彼はより以上のものを、つまる自分の思想を言い表す定式や、進歩へ向かう自らの歩みを書き留めた表記などを越えた、それ以上のものを与えるでしょう。常軌を逸した莫大さがふつうの規範になり、あらゆる人々に吸収されてまさに詩人は進歩を倍増させる乗数になることでしょう!
そうした未来は、唯物論的でしょう。つねに韻律的な数と調和に満ちており、いくぶんかはギリシア詩であるでしょう。詩人たちは市民なのですから、永遠なる芸術もその様々な機能を持つことでしょう。
詩はもはや行動にリズムをつけるものではないでしょう。詩は先頭に立つものとなるでしょう。そのような詩人たちが存在することになるでしょう。
1871年の5月15日、おりしもパリ・コンミューンがペール・ラシェーズ墓地で崩壊する「血の1週間」のさなかに、17歳のランボーがシャルルヴィルで友人ポール・メドニーに書き綴った手紙が、詩人の詩と生涯の真実を正確に鮮明に物語り、その悲劇的な結末さえ見事に予言している。
ランボーは、自らが宣言したとおり、その生涯をつうじてつねに詩の先頭に立った。そして詩の本質を直感し、詩の至純の世界を体得したランボーは、詩の世界にあきたらず、詩そのものを生み出す豊潤で混沌とした現実世界に向かって、彼のさまよえる狂気の酩酊船を船出させ、まるでそれが宿命であったかのように見事に座礁させたのだ。それが彼の足掛け15年に及ぶアフリカでの貿易商売の持つ意味である。
ランボーはエチオピアのハラルを拠点に、象牙、銃、綿、コーヒー、シチュー鍋、馬、ロバ、虎、ライオン、騾馬、麝香等々、ありとあらゆる物資を交易し、アフリカでのビジネスがうまくいかないので、エジプトを経てはるか当方の中国、日本まで遠征しようと考えていた。もし彼が明治20年代のわが国を訪れたならきっと西洋と東洋の新しい出会いがあったに違いない。
けれども砂漠に逃亡した孤独で不運な詩人は、悪賢い商売人たちにうまくしてやられ、結局はさしたる利益を上げることもできなかった。のみならず過酷な気候と不慣れな生活の中で健康をむしばまれたランボーは、野蛮人に囲まれた文化果つる不毛の地で右足を切断され、極度の苦痛と高熱にさいなまれながら、余りにも短すぎた過酷な生を閉じたのである。
ほとんど意識を失い、錯乱しながら「郵船会社支配人」宛てにマルセイユの病室で口述筆記されたランボー最後の手紙(1891年11月9日)は、彼の生涯最後の瞬間における見果てぬ夢の極北の姿を痛切に伝え、彼の有名ないかなる詩篇よりも感動的である。
分け前 牙1本だけ。
分け前 牙2本。
分け前 牙3本。
分け前 牙4本
分け前 牙2本。
支配人殿、
貴殿との勘定に未払い分がないかおたずねします。私は今日、この船便を変更したいと思います。この便は名前すら知りませんが、ともかくアフィナールの便でお願いします。
こうした船便はどれでも、どこにでもあります。それでも私は手足が不自由な不幸な人間であり、何も自分では見つけられないのです。街頭で出会う最初の犬に聞いても、そのとおりだと答えるでしょう。
それゆえスエズまでのアフィナールの便の料金表をお送りください。私は全身不随の身です。したがって早い時刻に乗船したく思います。何時に船上へ運んでもらえばよいかお知らせください……
この手紙が書かれた2日後、詩人という名に値する唯一の詩人ランボーは息を引き取った。
*参考文献「ランボー全集」青土社 平井啓之、湯浅博雄、中地義和、川那部保明訳
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