Tuesday, March 01, 2011

ヒッチコック監督の「鳥」をみて

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.102

1963年製作のユニヴァーサル映画はいまなお奇妙に色鮮やかで、サンフランシスコ近郊のボデガ・ベイ一帯の海や空や土地を鮮烈に染め上げている。風光明媚なこのリゾート地に別荘を持つイケメンロッド・テイラーを追い掛けてきたブロンド娘ティッピ・ヘドレン。お馴染みイディス・ヘッドの衣装に身を包んだ気まぐれな彼女が運んできた1つがいの「ラブバード」が、静かな町に思いがけない不幸と災難をもたらすのである。

登場人物たちの多くを殺したり、傷つけたりした様々な鳥たちが、主人公の家の周囲に磐居するこの映画の不気味なラストは、まるで地獄の黙示録のような凄味を湛えている。

世間では鳥は平和的な生き物と考えられていて、ピカソなぞは鳩をそのシンボルと心得ていたようだが、それはまったく事実に反する。その証拠に、私なぞは東京の渋谷区にある原宿外苑中学校の校門の前で、凶悪なカラスどもにあることか「2度までも」襲われているからだ。

彼奴等はいつも学校の前に植えられているイチョウの木の上に屯していて、(何が「これは」だかさっぱり分からないのだが、)「これは!」と思う人間を見つけると、ひとことの断りもなしにいきなり突撃してくるのである。

私は彼奴のぶっとい嘴で後頭部をしたたかに衝突せられたために、まさしくこの映画のティッピ・ヘドレンちゃんが体験したのと同程度の恐怖と被害を「2度までも」体感させられたので、それ以来ここを通行するときは、鎌倉小町のおもちゃ屋さんで購入した特製パチンコと鉛の銃弾30個を携行するようにしていたが、それ以来彼奴等は私を狙うのを躊躇するようになったから不思議だ。

このようにカラスひとつをとっても、鳥という生物はじつに凶悪で、人類に対して敵意と殺意を併せ持った存在であることが、少なくとも私なんかには得心できる。そういう意味ではヒッチはじつに先見の明のある映画作家であった。


大きな胸をゆさゆさ揺らして消えていった 茫洋

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