Wednesday, March 02, 2011

ヒッチコック監督の「マーニー」をみて

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.103


母と子の幼児体験が成人してからも大きな傷跡を残すことをヒッチが声を大にして映像で解き明かす力作。と言うてもけっしてフロイトなどの学説の紙芝居になっていないところに、この監督のずば抜けた力量を感じる。彼はあくまでも頭ではなく、眼で見て感じ、かんがえる人なのだ。

フィラデルフィアから雨のボルチモアに急行した主人公の2人が、ヒロインの母親を追及するラストシーンは、画面がジンジンするほど緊迫しており、ここではサスペンス映画がドラマの領域を突破して、人間性の真実に肉薄する怒涛の推進力が見る者を圧倒する。

生涯で初めての恋を、生涯で最悪の恋人を死守しながら貫き通そうとする男を、若きショーン・コネリーがなんと英雄的に演じていることか。

そして前作の「鳥」で世界と人世の不穏さを象徴することに成功したティッピ・ヘドレンが、持って生まれた性癖に苦しむヒロインをなんとけなげに演じ切っていることか。バーナード・ハーマンの劇伴も素晴らしく、涙なしに見終えることのできない真の傑作である。

それにしても、エディス・ヘッドの見事な衣装にこれほど見事に映えるティッピちゃんなのに、どうして懇望されたヒッチ映画へのさらなる出演を弊履の如く投げ捨てて、あれらの下らないテレビ番組に憂身を窶したのであるか。惜しみても余りある女優人生の蕩尽だった。

 上品を意味するdecentという英語が、ここでは反語的に使われていることも興味深かった。


母さんがdecentな女になれというから悪女になりました 茫洋


本日の別冊付録

http://www.yomiuri.co.jp/stream/onstream/sasaki.htm

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