Monday, March 14, 2011

ジョン・シュレシンジャー監督の「真夜中のカウボーイ」をみて

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.112

1969年のアメリカでは、テキサスの田舎者がニューヨークのような大都会に出てきて、己の性的魅力というか男根陰茎動力だけで生活できるというドンキホーテ的な妄想がリアルに息づいていた。ともいえる。そういう思わず笑ってしまうように楽しいような、しかしどうにも物悲しいような、もはや遠い目でしか眺めることのできない、懐かしい映画である。

NYの冬は猛烈に寒い。そのNYで売春婦に事後に20ドル要求して唖然とされたジョン・ボイトが、避暑地のマイアミに逃れてそれを許す婦人に出会えたことは、自由を愛する青年と合衆国にとっての大いなる喜びであったが、その時遅くかの時速く、心友ダスティン・ホフマンは乗りあいバスの中で帰らぬ人となってしまった。

当初水と油のような関係と思われた2人の青年を死線を越えて結んだ絆の中身はいったい何だったのだろう。その、地上ではなかなかに得難い稀少な友愛を、うざったいとも、まぶしいとも思えてくる名匠シュレシンジャー心尽くしのラストは、人類史上稀有な暑い夏への挽歌でもあったのでしょうか。


みちのくのうみべのむらをさまよいてちちよははよとよばわるひとあり 茫洋

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