Saturday, October 02, 2010

ステファヌ・マラルメ全集第1巻を読んで

照る日曇る日 第377回

マラルメの全詩集の邦訳といえば岩波文庫からでている鈴木信太郎訳が有名ですが、こちらは筑摩から出た松室、菅野、清水、阿部、渡辺氏の新訳です。なにせフランスの高踏派・象徴派の泰斗による超難解な詩ばかりなので、意味を取ることも解釈をすることも一筋縄ではいきません。例の「海の微風」の出だしの「肉体は悲し。万巻の書は読まれたり」のところを見ると「ああ肉体は悲しい、それに私はすべての書物を読んでしまった」となっているのでこの現代的な翻訳のやり方が分かるというものです。

一読して興味深かったのは「エロディアード」という舞台詩です。これはバイロンなどによって淫蕩な狂女として解釈されたサロメといううら若い乙女の精神を、手あかにまみれた通念を洗い流して、本来の処女エロディアードとして位置づけようとする試みで、エロディアードとその侍女による対話詩劇として構成されています。

マラルメがワーグナーとの交友を通じて音楽に親しみ、詩と音楽の親和性に強い関心を寄せたことはヴァレリーなどによっても証言されていますが、マラルメの「半獣神の午後」などを読むと、その調べのなかにすでにドビュッシーによって音化された「牧神の午後への前奏曲」が鳴っているようにも思えます。

さて本巻に収められたもっとも注目すべきは詩作品は言うまでもなく「賽の一振り」でしょう。人生と芸術の本質が「賽の一振り」のような偶然性によって支配されているがゆえにその偶然性から逸脱しようと絶望的な遁走を試みた詩人は、ここに詩の定型を大きく逸脱したフレームを構築し、旧来の詩集のレイアウト、デザイン、文字の大きさと余白の常識を打破した新しいメディアでもある詩的宇宙を創造することに成功したのでした。

見開き2ぺージを一単位として構成された詩編「賽の一振り」は、いわば「絵のない絵本」、「詩で綴られた創世記」であり、「賽の一振り」によって果てしない航海に乗り出した詩人の前に、前人未踏のめくるめく映像と高鳴る音楽が次々に繰り広げられるのです。


雲去領寂もう鳴かぬか蝉 茫洋

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