Monday, October 04, 2010

演劇集団「円」公演「シーンズ・フロム・ザ・ビッグ・ピキュチャー」を観て

茫洋物見遊山記第39回

ある国のある地方のある町村を描こうとするとき、その共同体や部落に住んでいるあれやこれやの任意の人物にフォーカスして、その人生の苦しみや喜びを伝えることができたら、私たちはその共同体や部落について少しは理解できたような気持ちになるのではないだろうか。

1961年に北アイルランドに生まれた劇作家オーウェン・マカファーティが「シーンズ・フロム・ザ・ビッグ・ピキュチャー」でやろうとしたのも、そういうことではなかったか。彼はおよそ10組20人余の老若男女を2時間の舞台に投じて、ベルファストといういささかややこしい町の24時間を群像劇で描こうとした。

たとえば小さな雑貨屋では老苦と病死が迫り、チンピラの万引きが老夫婦の頭を痛めているし、大きな食肉工場では労働者代表の青年と社長秘書が倒産におびえながら給料の工面で追い詰められている。

しかも青年はいわゆる良妻を持ちながらパブの女性オーナーと不倫し、社長秘書夫妻は(おそらくは宗教戦争の犠牲となった)息子の遺体を長年にわたって探し求めている。長引く不況で町に活気はなく、未来に絶望した若者たちの中にはコカインに手を出す者もいる。

そしてその薬で金儲けを企む怪しい組織の男たちや、愛と生きがいを求めながら虚しい心を抱いてひたすらパブでアイリッシュビールを飲み続ける男や女たちの切ない溜息は、ここベルファストのみならず、世界中の私たちのものであるだろう。

しかも向こう三軒両隣に棲息する人々の喜怒哀楽は、ワンシーン・ワンカットのドキュメンタリー映画のように非情かつ断続的に提示されるために、黄昏の町に生きる人々の陰影がよけいに深くなっている。そしてこの手法の開発にこそオーウェン・マカファーティの独創が発揮されているのだろう。

1組の男女が向き合えばそこには独自の言葉があり、次々に放たれるその言葉が切実な物語を紡ぎ、紡がれた小さな物語はまた別の物語を生み、ジャックの豆の木のようにつながり、やがて町を覆い、空の果てまでも連なり、いつのまにか誰も切断できない勁く温かい絆のような塊にふくれあがっていく。古くて新しい「演劇」がここにある。


朝日が昇って夜の闇が降り、やがてベルファストの1日が終わる。
明日は明日の風が吹くだろう。
これはもしかすると予定調和のハッピエンドを拒否する21世紀版「フィガロの結婚」なのかもしれない。



訳 芦沢みどり/ 演出 平光琢也 新宿紀伊国屋ホールにて10月10日まで上演中



人間が2人居ればそれが演劇のはじまり 茫洋

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