照る日曇る日 第381回
アフリカと聞けば人類誕生の地と思う。エイズを思う。西欧の奴隷制と植民地主義の圧政を脱して60年代に活躍したガーナのエンクルマやコンゴのルムンバの雄姿を思う。パン・アフリカ主義とアフリカ合衆国構想、アジア・アフリカ会議を思う。
雄大な自然と野生の動植物たちを思う。キリマンジャロの雪に横たわる1匹のヒョウや百獣の王ライオンの恫喝にもひるまぬ真の密林の帝王ゾウの突進を思う。「アウト・オブ・アフリカ」で流れたモーツアルトのイ長調ピアノ協奏曲のアダージオを思う。
ランボーやニザンやカミュや、強烈な色彩と骨太の線で80年代のアフリカを象徴したムパタの絵を思う。そのムパタにあこがれてケニアに「窓を開ければジラフが見える」ホテルを建てた編集者を思う。彼は「君の息子もあそこへ行けばきっと良くなるよ」と言ってくれた。
アフリカはアルファでありオメガである。希望の端緒であり絶望の果ての地でもある。
そのアフリカを40年間にわたって駆け巡ったポーランドのジャーナリストがいた。
こよなく愛するアフリカについて、豊富な現地体験に基づいてルポルタージュしつくした本書には、そんな懐かしく、貧しく、残酷なアフリカの面影が、強烈な色彩のコントラストとともにくっきりと描き出されている。
ガーナ、タンガニイカ、ウガンダ、ナイジェリア、エチオピア、ルワンダ、スーダン、ソマリア、カメルーン、リベリア、セネガル、エリトリアを旅した大旅行家は、植民地支配にもとづく全体主義、人種差別主義、異質者への嫌悪、軽蔑、排除欲求は、西欧世界に登場する100年前にすでにアフリカで実行されていた、という。
そしてまた、「アフリカはなんて存在しない。国や地域によって全部違う」という。すぐれたリアリストの言葉だ。だから全体より細部が大切なのだ。
しかしにもかかわらず、アフリカという全体は存在し胎動している。
かつてのカダフィ大佐のよる「アフリカは一つ」も、岡倉天心による「アジアは一つ」も一つの大いなる虚妄であったが、では今日のEUやFTAやEPAはどうなのか。それは新たな戦いの始まりではないのだろうか?
世界は再び巨大な共同体へと再編され、過去のいずれの時代よりももっと巨大な相克が始まろうとしているような気がする。
10月の16日に蝉が鳴く誰かさんの誕生日を祝うがごとく 茫洋
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