照る日曇る日第180回
本書は「日本社会の歴史」という題名になっているが、「日本国の歴史」の本ではない。「日本」とは期間限定の国制であるから、西暦7世紀後半というはじめと終りがあることを私たちは著者によってはじめて知らされた。
日本が日本になったのは、天武天皇の死後大后持統が689年に施行した浄御原令にはじめて日本という国号が登場してからのことであり、それまでこの国は倭国などと呼ばれ名乗っていた。
だからそもそも「縄文時代の日本」などという表現自体が意味をなさないことを私たちは改めて確認しなければなるまい。アイヌや琉球王国に居住するまつろわぬ異民族を、ヤマト民族が主導する他民族国家日本が強引に併呑したのはつい昨日のことだった。
また著者は本書を通じて日本という社会の歴史を、農本主義と重商主義という2つの基軸の対立と相克の歩みとして大きくつかみとろうとしている。古代律令国家は「農は天下の本」という儒教の農本主義にもとづく政策をとっていたが、鎌倉時代の中期以降、農業よりも商工業や海民ネットワークを重視する重商主義的な政策が台頭し、激しい闘争を開始した。
陸の源氏と海の平家の対立などは比較的わかりやすいほうだが、鎌倉時代に有力御家人の安達泰盛を抹殺した御内人平綱頼や悪党とつるんだ後醍醐天皇や足利尊氏の執事高師直が重商主義者で尊氏の弟直義が農本主義派であったという分類は意表をつく。
そして開明的な重商主義者、織田信長の挫折ののちに最終的に日本国を農本主義路線に定着させたのは太閤秀吉であったが、その後徳川政権になったあとも盤石の体制に落ち着いたとはいえず、折にふれて田沼意次などの重商主義者があらわれて反体制的改革が繰り返されたのであった。
♪小学生の女の子が降りしきる雨の中をらあらあと大声で歌いながら遠ざかって行った 茫洋
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