♪音楽千夜一夜第45回
私の敬愛するミク友である「ぽんぽこ」さんが、吉田秀和氏やグレン・グールドについて書かれていたので、はしなくも思い出したことがある。
それは偉大なる指揮者朝比奈隆氏が1974年にグールドの「ヴェートーヴェン・ピアノ協奏曲全集」の4枚組LPのために書かれたライナーノートである。幸か不幸か話の種が尽きかかっていたところなので、これから数日間はこの稀代の名文にお付き合いいただきましょう。作文のお手本になりまする。版権は朝比奈氏のご遺族と当時のCBSソニーにあるのだろうが無許可転載を許されよ。
今から15年以上も前、ベルリンのフィルハーモニー演奏会に現れたカナダ生まれのピアニスト、グレン・グールドは、たちまち楽界の注目を集めた。彼の演奏にはいささかも名手的華麗さはなく、豪壮なダイナミズムもなかった。レパートリーは小さい範囲に限られ、バッハ、スカルラッティ、モーツアルトからヴェ-トーヴェンの初期まで。しかしこの青白いひ弱な青年の奏でるピアノの異常な魅力は、滲み通るように人々の心を捉えた。
私が初めて彼を知ったのは、その頃1958年11月、ローマのサンタチェチリア・オーケストラの定期演奏だった。彼が希望した曲目は、ヴェートーヴェンの第2協奏曲だった。この変ロ長調の協奏曲は、通常オーケストラの音楽家にとっても、指揮者にとっても、また独奏者自身にとっても、色々な意味であまり好まれる作品とはいえない。即ち、他の4つの協奏曲に見られる壮大さもなく、技巧的な聞かせどころというようなものもない。オーケストラの総譜は比較的平板で、効果的ともいえない。しかも演奏そのものは決して容易ではないからである。
果たしてサンタチェチリアの楽員たちも、なぜ他のものを選ばなかったかとか、弦の人数をもっと減らそうかと、あまり気乗りのしない態度は明らかだった。しかも、協奏曲のために予定されていた前日の午後の練習の定刻になっても、独奏者のグールドは一向に姿を見せない。気の短いイタリア人気質で、どうしたとか、電話をかけてみろとか、騒然としているところへ、事務局から体の加減が悪いので今日は出かけられないとマネージャーのカムス夫人から電話があったと連絡してきた。
私はただちに練習を中止、翌朝の総練習の初めに通し稽古だけをすることに決定、音楽家たちは損をしたような得をしたような表情で、肩をすくめながら帰っていった。
♪最初の一音でそれとわかるピアニストそれは紅蓮グールド 茫洋
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