Thursday, October 23, 2008

黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」を見て

照る日曇る日第179回


江戸時代の法律の適用は厳格なものだったが、仇討ちを是認するおおらかさもあった。公的権力による裁判と処刑に依存せず、決闘、私闘による最終決着を許すヒュウマニズム的な領分を残していたのである。

得体のしれない裁判官やはやりの裁判員どもによってではなく、憎っくき親の敵を当事者である個人が追い求め、存分に討ち果たすことができたなら、子は大いに満足するだろう。自己責任で返り討ちのリスクを受け入れつつも、私たちは罪に対する罰を自主的に定めることができるのだから。故なく妻子を虐殺された父親が、国家権力の意向を無視して生まれて初めて武器を取って極悪非道の犯人に復讐する権利を、いったい誰が禁ずる事ができようか。

と、ついついあらぬところに話が逸れたが、悪人に対してどこまで酷薄になり、限りなく憎悪の炎を燃やし続け、どこまで復讐できるかというのが、この映画のテーマではないかと思ったのである。

食慾にせよ性欲にせよ物欲にせよ所有慾にせよあらゆる欲望にはその生理的、人間生物個体的限界があって、その境界線や容量を超えてさらに追求することは物理的に不可能になる、と私は考えているのだが、黒沢はどうか。

悪人どもの悪巧みによって父を自殺に追い込まれた三船は、周到な計画と準備をこらして正義の戦いを遂行し、敵の本拠に乗り込んで巨悪の陰謀をあばき、いよいよ徹底的な復讐を始めようとするのだが、幸か不幸か張本人の娘への愛が仇となって未然に挫折し、悲惨な最期を遂げることになる。

正義の志士は斃れ、悪人どもはやっぱり生き残る。悪い奴ほどよく眠る、というわけなのだが、もし香川京子との愛情に目が眩まなければ、三船敏郎は行くところまでいったんだろうか? 日本資本主義の中枢部を爆砕し、権力悪の根源を根絶やしにし、畏れながら黒沢天皇の返す刀で象徴天皇制の偽りの玉座を転覆したてまつったのだろうか? 

娯楽映画の範疇を勝手にはみ出して、想像を逞しうしたいところである。

♪芝栗をひとつ拾いし夕べかな 茫洋

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