鎌倉ちょっと不思議な物語104回&鎌倉廃寺巡礼その3
月輪寺は「がちりんじ」とひらがな表記して「がつりんじ」と発音する。「鎌倉志」に「光触寺の北、霧沢のうちに好見というにあり。ゆえに好見の月輪寺という」とあるが好見がどこであるか不明である。
しかし「十二所地誌」には「かつて光触寺所有の明石山の中腹にあり。その面積400坪、その中間の岩土堤に畳八畳敷き位の穴がある。本尊阿弥陀如来は闇浮陀黄金仏」とあり、さる考古学者が尋ねてきたが仔細はいっこうに分からず、遺物なぞはひとつも発見されなかったという。
さらに同書には「御坊ヶ谷を入った少し左側露ケ沢が好見であるがゆえに好見の月輪寺という。そこに房の屋敷というところがありこれが月輪寺の旧跡である」と記されている。
それなら定めしこの地であろうという閑静な一画を私はいつもの散歩コースにたやすく見出した。手前の家は私の次男の同級生の家でご両親はクリーニング業を営まれているが、その突き当たりに杉並木に囲まれた高台があり、この近所には多数の五輪塔ややぐら跡が発見されている。
「社務職次第」「供僧次第」「「若狭国志」にもこの古刹の名が出ており、「鎌倉年中行事」に「勝長寿院、心性院、遍照院、一心院、月輪院の五カ寺の住職は公方様の護持僧」とあるから、相当の大寺であったと思われる。
♪鳶一羽空に舞いたり廃寺跡 亡羊
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