ふあっちょん幻論第9回
18世紀の産業革命以降の機械文明は豊かな中産階級を生みだす社会変革をもたらした。
20世紀はじめの時代は「ベルエポック」だが、1910年にコルセットを追放したポール・ポワレの登場でゆったりしたシルエットが女性の体を解放してゆく。
第1次大戦が起こると戦場に行った男性に代わって女性がはたらくことになる。そこに登場するのがギリシア風チユニックで踊るイサドラ・ダンカンとシャネルであった。
第1トレンド 「シャネル・スタイル」byガブリエル・シャネル(1883-1971)
彼女は第一次大戦前は帽子デザイナーであったが、1913年ドーヴィルにブティックをオープン、ここにココ・シャネル誕生。戦場に行った男の代わりにワーキングウーマンが大量に登場したため、その仕事着を作ろうと考えたシャネルは頭がいい。
1916年、そのワーキングウエアを下着素材の黒のジャージィ素材で作ったところがまたとてもクレバーだ。
仕事着は当然装飾性を省き、活動的でないといけない。そこで歴史上はじめてパンツをはく女性が登場する。彼女のスカートやヒザ丈のカーディガンスーツは、80年代のヨージ・ヤマモト、川久保玲、90年代のマルジェラなどのギャルソンヌルックに大きな影響を与えた。
シャネルは、ヘアをボーイッシュに切る、日焼けした肌、ボアルックなどのさきがけをなした人であり、階級や富を拠り所にしないファッションを創造したひとでもあった。
シャネルの功績
○ 最初から大衆服をめざし世界で初めて米国でライセンスビジネスをやった→コピー複製時代を予言・先取り
○ 戦後ニュールックの復古調のあと再び機能的なシャネルスーツを発表、日本でも流行、60年代と80年代オートクチュールからプレタ全盛を予言しその通りになった。
前世紀に無視されていた身体的な機能性を重視、予言、先取りし、製品化した。
○ このようにつねに大衆時代のニーズを先取りしていたために、現在デザインを担当するカール・ラガーフェルドもシャネル・スタイルの伝統を自在に加工できた。
シャネル以降
彼女のギャルソンヌ(米ではジャズエイジのフラッパースタイル)ルック以降、30年代に入るとスカート丈が長くなり、ハリウッド映画の影響でグレタ・ガルボ、マレーネ・デートリッヒなどのグラマラスな着こなしが登場。そこで第2次大戦が勃発し、ファッションの暗黒時代に突入するのであった。ジャンジャーン。
♪斎藤茂吉と永井ふさ子合作の愛の歌
光放つ神に守られもろともに あはれひとつの息を息づく
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