Tuesday, July 31, 2007

坪内博士記念演劇博物館とシェークスピア

坪内博士記念演劇博物館とシェークスピア

遥かな昔、遠い所で第16回&勝手に建築観光23回


私はずいぶん昔から、このあたりにちょっと気になる時代がかった建築物があることは知っていた。しかし実際にこの場所に足を運び、16世紀イギリスエリザベス朝時代の劇場「フォーチュン座」を模して今井兼次らにより設計されたこの素晴らしい博物館をとっくりと眺めたのははじめてだった。

この演劇博物館は、1928(昭和3)年10月、坪内逍遙博士が古稀の齢(70歳)に達し、その半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が完成したのを記念して、各界有志の協賛により設立されたらしい。

正面舞台にある張り出しは舞台になっており、入り口はその左右にあり、図書閲覧室は楽屋、舞台を囲むようにある両翼は桟敷席になり、建物前の広場は一般席となる。坪内逍遙の発案で、このように演劇博物館の建物自体がひとつの劇場資料となっているということもはじめて知った。

中に入ると床・壁・天井の古い木目がしっとりして好ましく、アールデコ風のランプの照明も胸に迫って懐かしい。館内には小ぶりの演劇図書館もあり、古今東西の演劇関係の展示が所狭しと並べてあり、「古川ロッパとレビュー時代」や佐藤信の黒テントの回顧展、それに坪内逍遙の遺品なども展示してあった。

また入り口に向かって左手には坪内逍遙の銅像の下に
むかしひと こえもほからにたくうちて とかしし於もわみえきたるかも
という八艸道人の歌が刻まれていた。

その坪内逍遙のシェークスピア全集(第三書館から全37作の戯曲を1冊に収めた日英対訳版『ザ・シェークスピア』がたった4200円で出ている!)ほど私を楽しませてくれた翻訳はない。木下、福田、本多、小津、小田島、松岡と数多くの現代語訳が出版されているが、私がいちばん気に入っているのがこの逍遙版である。

最近の翻訳はやたら現代人に媚びるような言い回しをひねり回して巧妙である。しかしその言語生命は手垢にまみれ、すでに壊疽している、死んでいるのである。

ところが当時弟子筋の二葉亭四迷と共に近代のコンテンポラリージャパニーズを国民的に創生中であった逍遥は、その生命力みなぎる黎明期の手作りの言語を実験的に駆使しつつ、史上最大の戯曲家の世界を私たちに口述する。

さうして、その呪術的な言葉の混沌の中から立ち上がる沙翁のブッキッシュな語りが、私たちの疲弊した耳目になんと新鮮に響き渡ることだろう。

例えばあの有名はハムレットの独白、To be,or not to be, that is the questionがある日本人によってわが国ではじめて、「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ」(素晴らしい超訳!)と翻訳されたのは1874年(明治七年)のことである。(「ワーグマン日本素描集」岩波文庫70p)

 1933年、この古今の名文句を逍遥は、
「あるべきか、あるべきでないか、それは疑問だ」 
と訳した。そして私はこの二つの翻訳こそが沙翁の原義にもっとも近しい日本語ではないかと考えるのである。

ところがその同じ逍遥が1949年には、これを「長らうべきか、死すべきか、それは疑問だ」
という日本語に置き換えた瞬間に、この俗耳になじみやすい現代風の訳語が、
「生か、死か、それが疑問だ」(福田恆存1955年)
「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ」(松岡和子2001年)
 などの妙に分かった風の一義的なフレーズに「回収!」され、同時に創世記時代の日本語の創造的混沌も完全に閉塞していったのである。

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