降っても照っても第34回
インドと同様、いま韓国では仏教が熱いそうだ。
韓国の仏教はその9割以上が新羅の護国仏教であった華厳宗の流れを汲む曹渓宗だそうだが、奈良の東大寺がわが国の華厳宗総本山であることを思うと、改めてこの二つの国、地域の切断されえない「えにし」について認識を新たにせざるをえない。
ちなみに、かのスパルタに似た新羅の若衆宿花郎制度は、弥勒信仰で結ばれた熱烈な青年宗教教育軍事システムであり、そのストイックなライフスタイルは京都広隆寺の半跏思惟像のたたずまいや聖徳太子の倫理観にもつながっている。
しかし儒教、国家と一体になった韓国の仏教は、わが国の仏教やカトリックによくみられる“上からの規範に準拠する下々の信仰”とは形態を異にしていて、その大半が“民衆の主体的意思にもとづく信仰”である、と著者は指摘している。
幼年期を日本の植民地朝鮮で過ごした著者は、敗戦直後の平壌で母を喪い、ソ連軍による略奪、暴行、強姦の地獄をつぶさに体験する。
「ソ連軍が官舎に乗りこんできても虚脱状態に陥った父は両手を上げたままほとんど身動きもしなかった。母が悲鳴をあげるのを聞いてもそうだった」
そしてその父も、引き揚げ後の日本でうしなう。ここから「私たちはすべて一定、地獄の住人ではないだろうか」という著者の諦念にみちた人生観が生まれる。
「戦争中のみならず、私たちはいまも確かに地獄に生きている。しかしその一方でその地獄に差してくるかすまな光があることを信じる。現実に生きるとはそのような地獄と極楽の二つの世界を絶えず往還しながら暮らすことではないだろうか」
という著者の言葉に、私は共感を覚えた。
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