降っても照っても第40回
今年72歳になった天才的アーチストの自伝である。最初の60年安保闘争時代のハチャメチャな回顧も面白く、二回の都知事選挙の話や新宿青線地帯の乱痴気騒ぎも抜群に面白く、終わりごろの「放尿論」なども抱腹絶倒ものである。(余談ながら作家の風人さんの名前が突然出てきてびっくりさせられる)
つまりどこを取り出して読んでも破格の面白さが満載の自叙伝であり、しかも著者がまったく受けを狙って書いてところが素晴らしい。この人こそ生まれながらのアーチストではないかと思われる。
美大の卒業制作で最高賞に輝いた著者の彫刻「ブリキの飛蝗」は、後世に燦然と輝く不滅の名作であり、これが彼の芸術家としての出発点になった。
次はかの有名な「グリコのハプニング」である。これは著者がたまたま横須賀線に乗っていたとき、蒲田附近で大きなグリコの看板を見た瞬間に着想をえたという。
「看板に描かれた少年の格好で銀座通りを突っ走ったらどうだろう。グリコのおまけが街を走る…、これこそ私がいままでやって来たハプニングのなかでも代表作になるかもしれない」
そして事実その通りになる。
翌日ランニングシャツとパンツ1枚で両手を挙げながら銀座4丁目の角をまがり数寄屋橋公園を通り過ぎる著者の勇姿を見た大日本愛国党総裁赤尾敏氏は、その演説を中断し、「いま日の丸を背負った青年がここを通って行った。まだまだ日本にはいい青年がいる」と言ったそうだ。
赤尾敏氏と著者の出会いはさらに続き、東京都知事選でともに立候補し、ともに落選するのだが、候補者説明会のあとで著者が赤尾敏氏に銀座の不二家に拉致され、なんとチョコレートパフェをおごられるシーンも忘れがたい。
ちなみに今は亡き赤尾敏氏の兄上は長らく鎌倉御成で耳鼻科を開業しておられ、私のははも家内も何度か治療してもらったそうだが、(あまり腕前は上手ではなかったそうだ)入り口に数本の松が茂ったその昭和初期の古風な洋風住宅が先日無残にも取り壊され、今日も道行く人の涙をさそっている。
それはともかく、本書の終わりに近いところに突然「放尿論」というのが出てくる。このなかで著者は、
「温泉でビールを飲んで尿意を催した私は大浴場の浴槽のなかでで突如尿意を催した。そこで突端を湯面から少し突き出して思い切り放尿すると、尿は噴水のように高く上がり、私は一人歓声を上げた」
と楽しげに書いているが、この楽しさに心から共感できる人だけが著者の友であり、本書の熱烈な愛読者であるといえよう。
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