降っても照っても第35回
45歳の美術史専門の翻訳家の女性とテレビ番組を制作する50過ぎの夫や18歳の少女と建築家の父親と祖母などが登場し、海外のリゾートやビーチのパラソルやヴィラや透明なグラッパやアマレットやオマール海老や、サワークリームを添えたキャビアやミラベルというジャムにすると美味しい果物やボブ・マーリーやセルジオ・メンデスや、伊勢丹で買ったタイツや逗子葉山のサーフィン屋や車のヴォルヴォ!や、現代絵画や、動く彫刻やらも続々登場し、その合間を縫って、己の欲望や快楽をとてもとても大事にしている主人公たちが、たとえ彼らが夫婦であっても、そしてお互いに深く愛し合っていても、突如どこかで魅力的な男や女と遭遇すると、たとえそれが昼であっても夜であっても、たとえそれが海や浜辺や陸地であっても、それがマンションや浴室やキッチンであっても、迷うことなくめいめいの性的欲望を満たし、それでもって恬として恥じず、それをもってますます己は美しい桜であるとうにぼれ、それでもって気だるい寂しさとか悲しみとかを覚え、そんでもってとうとうこの小説の主人公のひとりである大人びた美少女までが、何故だか今まで好きだった同世代の少年を突然捨てて、テレビ番組を制作する50過ぎの魅力的な中年のおじさまに恋をしてしまい、どうした親の因果がこの子に報いたのかは分からないが、「ホテルとか、自動車のなかとか、裸になれる場所に行って性交をしてみたい。どうしてもこの男の人とそれをしたい」とはっきり思うようになり、それが嵩じて「不届きな真似をしてほしいの」とその男の耳元でささやくにまでに至り、そんな露骨なことを言う(言わせる?)ほうも言う(言わせる?)ほうだし、「よおし分かった」とばかりに大喜びする男も男だと思うのだが、♪アカシアの雨に打たれて♪夜霧の西麻布シテイホテルに連れて行かれてご希望通り初体験し、最後に「これがそれか。そう思うと、私はなんだかしみじみした。自分の身体が2時間前までとはべつの物になった気がして、はじめてのそれを、原さんとできてよかったと思った」とつぶやくという、わが国にも半世紀遅れでやって来たフランソワーズ・サガン風女史による夢見るシャンソン人形のような、金平糖のような、スイーツのような、触るとポロポロ崩れてしまうパフェのような、益体もないももんがあのような、著者が自称するとおりの三文がらくた小説である。
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