Thursday, October 26, 2006

都築響一著「夜露死苦現代詩」を読む

まずは、本書の第11章「少年よ、いざつむえ」に掲載されている友原康博氏の「くさった世の中」という作品を紹介しよう。

「くさった世の中」

くさった
世の中は
身を
生じない
反発の
ゆれみが
のし
かかって
くる
のだ
だから
きびしく
追求する
激しい
なぞは
荒れて
いる
世の中の
くさみで
ある
ことは
決して
うそで
ないことを
実証して
いる
のだ
だから
はてない
気持が
つづくのは
さぞ
不思儀な
事は
ない
では
ないか
そこに
激しく
もみ
あう
ので
ある


著者は、生命力を喪失し、業界内部だけの自己満足で消耗の限りを尽くし、いまや仮死状態にある「現代詩」に最後の鉄槌をくだそうとしている。

高踏的な桂冠詩人の超難解な1行よりも、死刑囚の稚拙な5・7・5や、あまねく人口に膾炙されている相田みつおの「今日の言葉」や玉置宏の天才的な話芸、障碍者の輝かしい「言葉のサラダ」、肉体言語としてにラップ・ミュージックにより高いゲイジュツ価値を見出そうとする著者の考え方はじゅうぶんに説得力をもち、次々に繰り出される豊富な実例に圧倒される。

思わず、「くたばれ、現代詩。よみがえれGENDAISI!」と叫びたくなるような、パンクでファンキーな1冊である。

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