Sunday, October 15, 2006

田草川弘著「黒澤vsハリウッド『トラ・トラ・トラ』その謎のすべて」を読む。

田草川弘著「黒澤vsハリウッド『トラ・トラ・トラ』その謎のすべて」を読む。

『トラ・トラ・トラ』は1970年9月に世界で公開された日米合作のフォックス映画である。

プロデューサーにはエルモ・ウイリアムズ、米側監督にリチャード・フライシャー、日本側監督に解任された黒澤明に代わって舛田利雄と深作欣二を迎えて日米で撮影・製作された山本五十六と真珠湾攻撃の物語だ。

本書は黒澤を敬愛する作者が、燃えるような探究心に突き動かされつつ敢行した周到厖大な日米両国での調査をもとに、黒澤がなぜフォックス社のザリル&リチャード・ザナック父子から解任されたかという謎に迫る。

ザリル・ザナックはハリウッド映画界に君臨した大プロデューサーで、かつてジョン・フォードの名作のオリジナルフィルムに遠慮なくハサミを入れた豪腕編集者としても知られる。

本書によればザリルと黒澤はお互いに気に入っていたようだ。英雄肝胆あい照らすというところか。

またエルモ・ウイリアムズは「ザ・ロンゲストデー」(邦題史上最大の作戦)の総監督兼プロデューサーで、彼もまた世界の黒澤を尊敬し、『トラ・トラ・トラ』の日本側監督にクロサワを推薦・指名したのは彼であった。

本書によれば黒澤解任に至った最大の原因は、日米双方の当事者間の恐るべき誤解、そしてお互いの文化の違いである。

そもそも黒澤は(日本古来の習慣に従って)契約書に目を通してもいなかった。契約書には、黒澤の任務は「単なる職人仕事」であり、日本撮影部分だけの映像処理にすぎなかった。それだのに黒澤は日本のみならず米国部分の監督も自分が行うものだと、勝手に解釈していたのである。

この最初の段階でのボタンの掛け違いが最後に仇となる。天才的な映像作家の黒澤が自分の契約書を目にしたのは、彼が解任された後で、しかも自分の手元を探しても見つからず、なんと契約相手のフォックス社のコピーを見せてもらったというのだから驚く。

契約や米国との交渉はすべて彼が盲目的に信頼していた青柳プロデューサーが担当していた。お人よしの黒澤は自分の飼い犬の青柳にだまされだけだともいえるし、黒澤は映像産業に従事するビジネスマンとして失格であるともいえる。

法律や契約などを無視して自分勝手に相手側の意図を忖度し、「世界の中心がおのれである」という夜郎自大で無思想かつ情動的な行きかたが、わが国をかつて大きな戦争に巻き込んでいったが、これと軌を一にする無知で、粗野で、没論理で、尊大な芸術至上主義が、世界のクロサワを自爆に追い込んでいったのである。(この間の事情をわが国の昭和史や村上隆の「芸術起業論」と比較研究すると興味深いものがあるだろう)

全部で500ページになんなんとする大著も、最後まで読むと、「なあーだ」で終ってしまいそうだが、本書ではあちこちで思いがけない指摘に出会い、黒澤に関する旧来の見方を改める機会が多々ある。

例えば日米の医師の診断書を精査した著者は、黒澤の器質的障害がゴッホやドストエフスキーにも共通するもので、こうした先天的な疾患があったからこそ彼は独創的な作品を生み出すことができたのだし、その同じ欠陥が東映京都撮影所で致命的なトラブルを引き起こしたのだ、と語っている。

そういえばかつてこの私も、保津川と嵐山に臨むこの著名な撮影所で仕事をしたことがあるが、魔都京都などで大切な作品を撮影してはいけない。そのタブーを例えば京都人の大島渚ですら理解していたのに、お馬鹿な黒澤が慣れた東宝を蹴ってヤクザが徘徊するこの伏魔殿を選んでしまったことが敗因のひとつになってしまったことは疑いをいれない。

 黒澤解任後改めて20世紀フオックスが完成させた『トラ・トラ・トラ』は、真珠湾攻撃の迫真の大活劇シーンをのぞくと、まるで人間のドラマを欠いた中途半端な駄作だが、悲劇の司令官山本五十六を主人公と考えた黒澤が、もしも、もしも、彼の思い通りの『トラ・トラ・トラ』を創り上げていたとしたなら、それは未完の「暴走機関車」と同様、素晴らしい作品になったことだけは間違いないだろう。

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