鶴岡八幡宮の本殿に登って祈祷が始まるのを待っていると、七・五・三で家族と一緒にやってきた少年の声が聞こえた。
「ねえ、神様はどこにいるの?」
すると彼の父親がおぼつかない声で答えた。
「奥のほうだよ」
少年が「あそこらへん?」と、指差しながらまた尋ねると、
「いいや、もっと奥の上のほう」
と、父親がおぼつかなげに答えるのを、私は吹き曝しの畳の上で震えながら聞いていた。
少年よ、いったい神様はどこにいるんだろうねえ?
もしかすると、私たちの正面の御簾の奥の扉の奥の、そのまた奥に、神様はいらっしゃるのかもしれないね。
あるいは、神様はもしかすると、そこにも、ここにも、どこにも、いらっしゃらないのかもしれないね。
でも、今日のお昼前、私たちの大好きな八百万の神様は、
八幡様の本殿にも、
静が踊った舞殿にも、
実朝が公暁に殺されるのを眺めていたイチョウにも、
本殿の屋根の上でやかましく鳴いている烏にも、
その烏の上にどんより広がっている曇り空の中にも、
それから、小さな掌を合わせている少年の心の中にも、
やわらかく微笑んでいたのだった。
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