『愛の挨拶』
私は世間並みに携帯電話を1個持っている。
Auの携帯である。
昔はドコモの携帯を持っていたが、3回落とした。
1回目はお茶の水のアテネ・フランセでゴダールの「映画史」の試写会があった
ときだった。
2回目はJR中央線の中だった。
親切な若い女性が拾ってくれたというので、私は8月のカンカン照りの真昼に
三鷹警察署というところに初めて行って、無事にそいつに再会したのだった。
三鷹警察は、とても寂しい野原の中に、ひとり寂しく立っていた。
しかし、新橋で落とした3回目は、とうとう出てこなかった。
そのときに詠んだ歌を紹介しておこう。
「インド人イラン人誰かが僕のケイタイ持っているよ」
あなたは、変な歌だと思うだろう。
私もそう思うが、当時イランの人たちがどっさり東京にいたのだ。
それはともかく、私は落としてばかりいるドコモがいやになって、
Auに切り替えた。
当時鎌倉では電波とアンテナの関係でドコモが入らず
東京から急な仕事の電話が入ると、私はあわてて家を飛び出して近所の丘の上で
大声を出していたのである。
隣の家の主人はそんな私の哀れな姿を見てあざ笑っていたが、
その翌日、私は私とおんなじことをしている彼の姿を見たのだった。
それから私は、吉祥寺のとあるショップでAuの携帯を買った。
それはいつも私の机の左側に置いてある。
私が新しい携帯を買ったころ、私の仕事が急に減った。
フリーランスライターの私はどこにも行かず、朝から晩まで仕事の依頼の電話を待っていた。
しかし、携帯は鳴らなかった。
まれに鳴ると、それはろくでもないやつのろくでもない用事だった。
私は、それでも我慢した。
朝から晩まで、心優しいクライアントからの用命を心待ちにしていた。
けれども、やっぱり携帯は鳴らなかった。
毎月「あなたの携帯はあと600円無料通話ができました」と請求書には書いてあった。
それでも、私の携帯は鳴らなかった。
鳴らなかったが、私はそれを捨てようとは思わなかった。
やがて私は、節約のために夜間は電源を切るようになった。
毎朝9時半になると、私は携帯の電源を入れた。
毎晩6時になると、それを切った。
けれども相変わらず、携帯は鳴らなかった。
携帯は鳴らなかったが、私は必ず充電し、毎月1600円払い続けていた。
フリーライターのたしなみとして、家にいるときも、太刀洗に散歩に出るときも、たまに東京に出かけるときも携帯を手放さなかった。
それからずいぶん長い月日が流れた。
ある日のこと、私は新宿の文化女子大の教務の部屋にいた。
するとどこかから音楽が聴こえた。
私はじっと耳を澄ませた。
いつかどこかで聴いたことがある、懐かしい音楽だった。
英国の音楽であろうとは思ったが、しかし曲の名前は分からなかった。
やがてその音はだんだん大きくなり、静かな教務の部屋全体に響きわたった。
私はやっとこの名曲の名前を思い出し、傍らの若い教務の女性に得意そうに告げた。
「エルガーですよ。これはエルガーの『愛の挨拶』です」
すると、彼女が私に言った。
「あなたのこの黒いカバンの中で鳴っているようですわ」
そのときだった。
私は、このエルガーの着信音が気に入ってこの携帯を選んだことをようやく思い出したのだった…
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