Saturday, November 12, 2011

アンドレイ・タルコフスキー監督の「サクリファイス」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.167

1987年に製作された偉大な偉大な監督の遺作です。第3次世界戦争の勃発で人類滅亡の危機に直面した主人公の恐怖と絶望、そして精神の危機からの自己犠牲による劇的な転生を描いている、といえばなんだかもっともらしいが、私にはどうもよく分からない。

この未曽有の危機に直面した無新論者の男が、神への信仰に目覚め、愛する者たちを守るためにすべてを捨てて犠牲を払うと神に誓うところまでは理解できます。

タルコフスキー専売特許の水が流れたり、登場人物が突然昏倒したり、空中遊泳したりするのはいっこうに構わないのですが、主人公が、その願いを実現するためには、魔女である召使のマリアと寝る必要がある、とニーチエの永劫回帰を説く郵便配達からそそのかされ、思い切ってそのようにすると核戦争が回避され平和が訪れる、という荒唐無稽のお話には、いくらなんでもついてゆくことができません。

ひところのような全面戦争と核戦争への脅威がうわべだけにもせよ一歩後退したかにみえる現在から見れば、これをタルコフスキーの狂気と思いこみから生まれた幻想譚と評し去ることも可能でしょう。なにゆえ男の祈りを神が嘉し給うたのかは、それこそ神と監督のみぞ知るという不可解な映画です。

けれども、この映画の冒頭で主人公が「枯れ木に毎日3年間水を与え続ければ花が咲くであろう」という教えを我が子に教え、最後に息子がその遺言を忠実に実践しているシーンになると、私は日本のある障碍者施設で、雨の日も植物に水やりをしていたという愚かで無垢な少年の姿が胸に迫ってくるのです。

私たちは、バッハのマタイ受難曲の「憐れみたまえわが主よ」のアリアと共に植えられた枯木にいつか満開の花が咲く日を、いついつまでも待ちたいと思います。

いつか来る枯れ木に桜咲く朝が  蝶人

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