照る日曇る日 第356回
「ニコライ遭難」「ポーツマスの旗」「白い航跡」の3冊の本を1巻におさめた最終巻をやっとこさっとこ読了しました。
帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の皇太子時代の大津事件を扱った「ニコライ遭難」は、当時この暗殺未遂事件がいかに日ロ両国の政治外交関係に大きな衝撃を与えたかについて、手に汗握るような臨場感と事実の積み重ね(例えば長崎で入れた両腕の龍の刺青!)で描き、たとえば富岡多恵子の「湖の南」の視点の定まらぬ凡庸な記述などとは比べ物にならない歴史小説の力量を見せつけています。
日露戦争にかろうじて勝利したあと、国民の重すぎる期待を背負ってロシア全権ウイッテと凄まじい外交戦争を繰り広げた「短躯の巨人」小村寿太郎を主人公とする「ポーツマスの旗」では、当時イソップ物語に出てくるカエルのようなでパンク状態にあった日本という国を、未曾有の苦難から救済すべく粉骨砕身の努力を続けた孤独な外交官への熱い共感がいつもながらの冷静な筆致から隠しようもなくふつふつと湧き起ってくるのが格別の魅力です。
そして1882年(明治15年)からの4年間に食物を改善して日本海軍の脚気を根絶し、後年のビタミンB欠乏原因説のさきがけの道を切り開いた医学者高木兼寛の孤軍奮闘の生涯を描き尽くした「白い航跡」では、幕末の薩摩でウイルスに医学を学んだあと、英国に留学して経験主義を大事にする現実的な臨床医学のノウハウを身に付けた高木兼寛と、理論主導医学の本場ドイツに留学してコッホ譲りの脚気細菌説を死ぬまで唱え続けた鴎外森林太郎の科学者としての生き方が、するどく対置されて見事です。
いかに文学者として偉大な業績を遺したにせよ、石黒陸軍軍医総監と結託して(結果的に)誤った非科学的な学説に依拠し、日清日ロの大戦で数多くの脚気死亡者を出した責任は、この謹厳実直かつ頑迷牢固な医学者に帰せられるべきでしょう。
文学の巨星なれど医学の巨悪人間森林太郎をいかに位置づけるべき 茫洋
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